地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

奥の細道を探る⑨~沖高村②

 余目小学校から進んだ道は、民家に突き当たって左へ回り込むが、民家の北側に細道がある。
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 そこが、村堺の道筋のような気がしたので進んでみる。


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 台地の一段低い所を進んでいって、少し行くと高台にある桃畑に出られるように続く。


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 桃畑の中を進む。ここで作業をしていた方も、ちょっとこちらを見やりながら作業を続けられた。


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 墓地への道にもなっていて、その脇を通る。


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 この道を更に進むと、高速道路で分断されている。その先には進めない。
 ただ、少なくとも、この辺りまでは村堺の道も走っていたのではないかと勝手に想像できる雰囲気が残っている。


 貴船神社の脇の高速道路をくぐる細道から回り込んで、村堺の道を確かめてみる。


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 砂利道を進んでいくと、


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 河岸段丘の縁に沿っているなと思っているうちに、南に向かってカーブを描いて、村落を経由して、


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 観音堂の脇から、県道に合わさってしまった。

 本当に調べるには、絵図等と照らし合わせることになるのだろうか。


 感覚的には県道115号線は、瀬上街道であるが、この辺りの道は、どこからでも瀬上には行けるが、飯坂方面にはこの街道を外れれば行き止まりの道もあるのは、昔もそうだったのではないかと思えてくる。
 このあたり「人に尋ねながら進んだ」ようだが、脇道に入りこんだり、人に尋ねて地域の方が想像する道筋に戻りったりしながら進んだのではないかと想像を膨らませる。
 この辺りで芭蕉が不機嫌になる理由の一つにこれも加えて想像する。
by shingen1948 | 2009-05-08 05:42 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)