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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奥の細道を探る~瀬上宿から星の宮まで

 先に、奥州街道から文知摺観音辺りまでの奥の細道の松尾芭蕉の足跡をたどって整理してみた。また、文知摺観音から当時の阿武隈川の「月の輪の渡し」を越えるあたりも確かめた。
 そこから医王寺までの道が、部分的な確かめしかしていない。奥の細道の足跡という視点で連続して整理してみたいと思った。今回は、月の輪橋を越えた芭蕉一行が飯坂へ向かう道をママチャリで散策してみた。
 散策は、平野の六角あたりからスタートして阿武隈川まで行き、そこから再確認しながらスタート地点に戻ってくるコースにした。

 この区間は、月の輪の渡しあたりで、佐藤庄司の旧跡が、左の山際の道を一里半ほど行ったところにあると考えて、飯塚の鯖野はどういけばよいかを人に尋ねながら進んだという。そして、丸山に到着し、それから医王寺を訪ねたことになっている。
 随行の記録でも、瀬上から佐場野(鯖野)ヘ行き、佐藤庄司の寺があったとあるだけの道だ。

 丸山に行ってから医王寺に行き、そこから飯坂にまた戻るというコースは考えにくい。
 先に医王寺に立ち寄ったとは思うが、そこまでの道筋も二つ考えられる。
 河岸段丘の縁を歩いてきたとする進み方と、六角石を結ぶ道にそって来たとの考えができる。今回は、その両方を想像しながら進んでみることにする。
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 まずは、六角石を結ぶ道に来たとすると、この右手の石塔が平野の六角石で、進んできた道をこの角で右手に折れて、この道を進んだことになる。
 ここは道が狭かったので車がこれを擦ることが多くて、角がとれて原形を失ったと聞く。


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 医王寺への道は、左端にあるこの道標(角の草の中の石柱)を目印に左折して、この道を進むように案内される。

 ただ、星の宮に立ち寄るとすればそのまま真っ直ぐ進んだということになる。


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 もう一つの道は、その星の宮に向かって河岸段丘の縁を進んできたとすることも考えられる。河岸段丘の縁を進んでくれば、この神社の右手の道からここにたどり着く。そのまま、左手の道を進んで、五郎兵衛舘脇を通り医王寺に進む道になる。(ガードレールの道は、この河岸段丘から下る道で、その手前にその道はある。)
 地元の歴史好きの方々は、そのコースを想定する方が多いように感じる。

 医王寺への道標まで、今の果樹園の中を進んで来たことも想像できる。これらの道を視野に入れながら、松尾芭蕉が進んだ方向とは逆に進んで確かめる。
 ただ、写真は常に、飯坂の方に向かった視点で撮っていく。


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 今の果樹園の中を進んで来て、真直ぐ進んで道標まで行ったか、河岸段丘の縁を進んで星の宮に向かったかは、この辺りの分岐によるような気がする。
by shingen1948 | 2009-04-30 05:28 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)