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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大笹生城跡④

 山を降りる。
 この山は、大笹生城であるという見方で、景色を眺めていなかったので、改めてその見方で景色を整理し直す。
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 南北に走る溝は、この城を守るための堀跡であることを想定する。


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 馬頭観音があるこのあたりのカーブは、その堀の切れ目のようにも思う。


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 そこから振り返ると、南北に走る堀が、……。


 20年程前に案内された山城は、まだ曖昧なところはあるが、この大笹生城跡だったような気がしてきた。
 山を降りて、東禅寺まで散歩したが、途中石塔や寺が多く歴史のある地域だなと感じる。
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 東禅寺と大福寺の間には、「紫神社」の標柱が立ち、信夫の庄司佐藤元治(基治)の土産神にて昔は大社なる由、北極紫徴垣帝座を祀ると伝えられると説明された標柱が建つ。
 家に戻って、北極紫徴垣帝座について確かめる。整理すると以下のような概要らしい。

 北極星が宇宙の大元とみてそれを神格化する。そして、北極星と周辺の星座で中宮を形成する。北極星が太一、その近くに太子・后の星があり、紫徴垣というのはこの天帝の一団の星をいうとのこと。

 また、マホロンの遺跡データベース検索をすると、山を降りたところにある稲荷神社から東禅寺の裏にかけて、平安・奈良の遺物の散布地として記録されているようだ。
 ただ、散布地というのは、遺物の散布がみられることで、遺跡が明確でない場合が多いらしい。
 実際に遺跡を構成することもあるが、遺物が客土等によって散布されている場合もあるとのこと。
 確かめるには、その地域について堆積土か客土かとか、出土状況・土層の観察確認が必要とのことではあるが、古い歴史があってもおかしくはない雰囲気は漂う。


 マホロンの遺跡データベース検索を確かめていたら、笹谷城と勘次郎館が別にヒットした。どちらも中世の館でのヒットだ。位置は、地図が小さくてよく分からないが、笹谷城が店のあった角辺り、勘次郎館がその少し北に行ったあたりかもしれない。
by shingen1948 | 2009-04-28 06:18 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)