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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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宇都宮城⑤

  実は、この宇都宮城へは、宮原から迷いながら東武宇都宮線に沿ってやってきた。
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 これは、迷い始めの宮原辺りの道端の石仏だ。

 宇都宮城は、市役所近くらしいので、そこへ行く道を訪ねながら進む。
 宮原あたりで訊ねると、「ここから歩く気か」と質問される。恰好が、ちょっと澄まして鞄を下げている。市役所に用事がある者が、ここから歩こうとするのは不自然な距離らしい。
 ただ、市役所に用事があるわけではないことは説明しなかった。
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 途中に、日光街道不動尊があった。


 標柱の案内板では、次のような説明があった。
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 江戸時代の初めごろ、宇都宮城主本多正純は、日光街道と奥州街道をつけかえました。そのとき、旧奥州街道と奥州街道の分かれ目にあったのが、不動明王を祀った不動堂です。江戸方面から来る旅人にとっては、宇都宮に入る目印となっています。
 不動堂は始め、この場所より東方(旭陵通りを少し入った辺り)にありましたが、後にここに移されました。今でも不動前という地名があるのは、この不動堂に由来する。

 宇都宮への用事で、宇都宮城の散策へ飛んで、その前の散策である名倉城とは何の脈絡もなさそうだが、まったく無縁ということではない。
 延享3年(1746)から、明和元年(1764)までの18年間この名倉城のあった下村が宇都宮藩の飛び地になっていたようだ。延享3年に宇都宮では、戸田忠盈氏が父の遺領77850石を継ぐのだが、その時この下村も含め12ケ村13000石余を飛び地として与えられ、翌4年に陣屋が建築して代官を配したとのことだ。
 宇都宮では寛延2年(1749)に戸田氏が肥前国島原に移封になり、島原から松平忠祗が藩主となるが、下村の支配は続き、陣屋は継続したと考えられている。
 ただ、その後の田沼氏時代の陣屋は、絵地図に残っているようだが、宇都宮藩の陣屋の遺構は判然としないということのようだ。
Commented by はなまる at 2009-04-16 14:15 x
陣屋については検地帳や地形図など、総合的に調査しないとなかなかよく分らないことが多いようです。屋敷(陣屋)はなくなっていて、畑・田になっていることもありますから。福島・(信夫)八島田陣屋は新潟・新発田藩の陣屋がありましたが、昭和末期には陣屋跡
の形跡は残っていません。郷土史家が書いた資料などで、辿ってみることは出来ますが、今、歴史地理学で研究している方々がいます。大名陣屋・旗本陣屋・飛び地陣屋・代官陣屋で現在残っているところ、残って(史跡など)いないところとがあるようですね。
Commented by shingen1948 at 2009-04-17 18:05
確かに歴史書では見かけませんね。郷土史家の資料を基にしていることが多いようですね。
備中足守藩の瀬上陣屋は、福島県史学会常任幹事の半沢氏でした。
田沼氏の陣屋は、地元の郷土史家が地図を元に位置を特定し、宇都宮氏の飛び地の陣屋は、その陣屋と重なるのではないかと推定しているという段階ですね。
Commented by はなまる at 2009-04-18 05:28 x
昭和の初め頃に名主格に陣屋扉が譲られ、その前で写真を撮った
ということが掲載されていることから、いろいろな事情で取り壊して宅地や区割りしていったのでしょうね。たまたま、その写真入りの『郷土史』をみつけて、なるほどと感慨深かった記憶があります。陣屋は役人が交代で来るだけで、地元豪農に任せていた状況ですから、明治になった時や陣屋自体が役目を終えれば、その陣屋ごとの事情で解体されたり、豪農のものになったり背景がいろいろだったのでしょうね。たまたま、聞きに行った講演会で題材にした陣屋が福島地方の陣屋を対象にしていました。講演した先生が関西の方でしたので、陣屋研究をしていた方々がいるんだ、と少し驚きました。地元よりも他方で研究されていたので、ちょっと残念でした。
Commented by shingen1948 at 2009-04-18 06:53
備中足守藩の瀬上陣屋は、おっしゃる通りの状況から、譲られた豪農の方が、専門の方に撰文を頼んで碑を建てたという状況のようでした。
他所の方がよく知っているという状況もよくありますね。
しかし、地域の方とコミュニケーションを取ろうとしない専門の調査を見たことがあります。
県の権威のある民族学調査で念仏講や寄り合いが消えているとされる地域で、お年寄りと話していて、「数珠回し」があったり、「もより」があったりした経験があります。
散歩人としては、何を信じるかは自分の感性のみと思うところもあります。
by shingen1948 | 2009-04-15 12:27 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(4)