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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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宇都宮城址公園

 宇都宮に出かけることになったが、用事を済ませただけでは治まらないのが性分。宇都宮城址公園に立ち寄った。
 興味は二つ、失ったものをどう修復するのかということと、忠実な再現ということだ。
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 宇都宮城址公園の施設概要パンフレットによれば、宇都宮城は、戊辰戦争(1868年)の際に、大鳥圭介や土方歳三らが率いる旧幕府軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、建物の大半が焼失してしまった。それを、平成19年3月に、櫓などを復元し、公園としてよみがえったとのこと。


 しかし、戊辰戦争で失ったのは建物の大半であり、堀や土塁等はあったはずで、建物も全てではないので、僅かでも残っていたはずだ。
 当時の面影をしのぶものはなくなってしまったのは、その後の開発によって失われたという経緯もあったはず。

 近世の宇都宮城は、500年この地を支配していた宇都宮氏を豊臣秀吉が滅ぼすことから始まり、この城は、譜代大名が次々と入れ替わることになる。
 その中で、徳川家康の側近であった本多正純が、城と城下町の大改修を行い、現在の宇都宮の街並みの原型をつくったという。その近世の宇都宮城を再現しようとしているらしい。

 パンフレットでは、近世の宇都宮城最大の特徴を、「将軍の日光東照宮参における宿城となったことだと説明している。
 日光社参は将軍による日光参詣のことで、将軍と幕府の権威を全国に知らしめる重要な公式行事であり、その象徴として「御成御殿」を宇都宮城本丸に再現することを考えているようだ。

 入口の案内板には、「釣天井事件」の舞台としても有名とあるので、確かめた。
 宇都宮城主・本多正純が、日光社参のために宇都宮を訪れた2代目将軍秀忠公を、からくり仕掛けの天井で暗殺しようと企てた事件とのことだ。読物や講談の題材になって、世間に広まった創作伝説のようだ。
Commented by はなまる at 2009-04-12 09:00 x
『日本の城 原風景を読む』によると、明治23年に宇都宮城は払い下げられ、本丸は戸田家、二の丸は士族一同、三の丸は町有となる。明治27年「公楽園」となってからは旧城館ができ、本丸内は市の記念行事や大演習賜宴などの場として市民に親しまれた。尚、昭和5年頃には本丸土塁の西、北部と堀や二の丸堀、百聞堀などが残っていたようです。参考まで。
Commented by shingen1948 at 2009-04-12 20:19
やはり、開発とかかわって残っていたものを破壊してしまったり、その状況で市民に親しまれていたということがあったのですね。
恵日寺の金堂再建の時も、人々に親しまれていた神社が、その上に歴史を刻んでいて、その対応に苦慮したようでした。

本丸の復元は戸田氏の状況を反映しているとは思ったのですが、最後の支配者だからだと思っていました。そこに、所有の問題もあったのですね。
会津の神指城の整備も天地人の放送に合わせて整備しようという動きがあるようですが、課題の一つが所有者の特定と聞きます。

情報ありがとうございます。
Commented by みな城址になってしまってますネ at 2009-04-13 15:03 x
旧幕藩体制の城がそのまま残っているのは少なくて残念です。
弘前城、松本城、姫路城、熊本城、沢山あった城や砦がむかしのまま残っていたら凄いのに・・・と思います。
Commented by shingen1948 at 2009-04-14 05:32
伝統的な祭りや生活、風習もそうですね。今になって脈々と続くよさが見直されてはいますが、一度途絶えたもを復活するのは、造りものといった感がぬぐえないのも事実ですね。
by shingen1948 | 2009-04-12 05:00 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(4)