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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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名倉城③~近世米沢街道(大森道)

 この城の変遷にかかわって、14世紀後半から15世紀前半に「宿」的な機能を有する集落様相を変えたとする考察も面白い。
 その前提として、近世の米沢街道が、ここを走っていることも考察の材料の一つになっている。
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 昨日の最初の写真中央の道、この写真では右端の道が、旧米沢街道らしい。

 実は、何度かこのあたりを歩いたのは、旧米沢街道の道筋を探していたのだ。それが、荒川を渡ったあたりで見失っていた。
 この報告書から「城の宿的機能を有する集落的様相」という見方と共に、散策で見失っていた旧米沢街道の道筋も教わったのだ。


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 まず、近世の米沢街道について整理しておく。
 ここから米沢へは、この道を荒川に向かい、川を渡って現在の米沢道の東側の田の中の道を進む。そこからは、先に整理したように、須川にかかる舘ノ下橋を渡って、左にそれて西に進み、西公民館辺りから庭坂に抜けることになる。
 この街道は、天文11年(1542)から天文17年(1535)の伊達氏天文の乱以降、伊達晴宗が西山城から米沢に移転した後整備されたという。その後、上杉氏も江戸への道としてこの街道を整備したという。
 この米沢街道が、古くはこの舘あたりでは、舘の中を走るという想定らしい。


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 この写真は、現在の旧街道に近い街道を舘の東側から見ているが、舘の中央を走った街道は、薬師堂の辺りを過ぎてそのまま南下し、字切りの境界線沿いの道を通って、この道に出て、「宿」の地名の道へつながるという道筋になるのだろうか。


 米沢街道は、ここから大森へ抜け八丁目宿で奥州街道につながる。
by shingen1948 | 2009-04-10 05:23 | ◎ 米沢街道 | Comments(0)