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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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台田遺跡を推理する④

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 山﨑後遺跡は、縄文時代中期~後期の遺跡で、この遺跡は、昭和62年に調査が実施されたとされる。そして、ここから出土する土器は、北陸の馬高式土器の影響を受けた縄文時代中期中葉のから後葉のものという。
 この遺物は、ふれあいセンターに展示されている。
 このセンターの展示空間は小さいが、収納空間が広い。そこに収まる遺物は豊かそうに思う。


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 ここでは、山﨑遺跡と台田遺跡の土器が並んで展示されている。台田遺跡を中心に据えたが、右奥の遺物は山﨑遺跡出土土器のようだ。


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 これは台田遺跡の土器だが、山﨑遺跡とは同時期の特徴を有しているのだろうと思う。

 縄文土器は、豊かな飾りに、人々の願いのようなものを感じる。


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 縄文の文様には、人の気が込められ、芸術の意気込みであるらしい。全勢力を込めて作品作りに没頭する岡本太郎氏が、この土器にのめり込んだという話に納得がいく。
 縄文の飾りは、縄文時代中期まで大型化立体複雑化して華やかに変化していく。
その変遷を踏まえた土器の文様の特色について、台田遺跡・山﨑遺跡からされている華やかな時期の実物を使って解説展示する。

縄文時代半ばを過ぎると、土器は実利の機能を重視するようになり、土器の文様や飾りが少なく簡素になっていく。
 ただ、土器自体は色々な形になり、終わり頃は、細工の細かい漆塗りも出てきたという。この変化は、やがて弥生式の土器へとつながっていくという。

 今年から正式に小学生の心に縄文時代からの記憶を刻むことになったと聞く。
 この地区の縄文の世界は、そのまま終結したのではない。台田遺跡・山崎遺跡の縄文時代は、連続的に次の時代に繋がり、古墳時代まで続く。そのことを確認できるのが、上ノ台遺跡だ。
 ここでは、中心となる住居遺跡は古墳時代だが、縄文時代の住居跡も検出している。縄文時代から古墳時代までの住居跡が重なって発掘されているということだ。

 更に、庚申壇古墳や谷地古墳などでは、その上に中世の舘跡が確認されているようだ。中世の時代まで、途切れることなく連続的にこの地の歴史は刻まれてきた。
 開発は進んでも、形式的にはあちこちに山神を讃える風習も残っている。

 豊かな自然の恵みの意義を忘れる時代に開発は進すすんだ。そのことによって別な豊かさが享受できた。それでも、いつかは真の豊かさを真に問う時代は来ると、散策していてそう思う。
by shingen1948 | 2009-04-07 05:20 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)