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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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台田遺跡を推理する①

 安達太良山麓の縄文遺跡を訪ねて整理してきたことを眺めていて、大玉村の縄文遺跡である山﨑遺跡や台田遺跡について整理していなかったことに気がついた。
 大玉村の縄文遺跡の現地には、案内板も建っていないし、資料も目にしていない。散策人の想像だけで整理することを躊躇していたところがあった。気になるので、あくまでも想像の世界ということで整理しておくことにする。

 山﨑遺跡は、蝦夷穴古墳に入る位置あたりのようだが、散策人にはこの辺りの台地と特定できる感覚を持ち合わせない。
 それに比べると、台田遺跡は、明らかに村の南西部台地で縄文遺跡ならこの辺りと想像することができる。
a0087378_6122290.jpg 
 これは昨年の春、村々の農作業が始まる頃に、遺跡の丘を北側から眺めたものだ。

 考古学的な遺跡は、ただの丘や藪でしかない。散策する者にとって、そこに立って見ただけでは、実感は湧かない。
 安達太良山麓の縄文遺跡群を訪ね環境を実感したことの積み重ねと比べながら類推してみる。
 ふるさとホールに展示される遺物やモニュメント展示も加えてイメージし、当時の生活が実感できたような錯覚が起きるか試みる。


 まずは、調査の類推だが、台地の南端と大地中央を南北に道路が走る。その道路建設に伴う調査だったのではないかと思う。

 遺跡のマップでは、中央を横切る道路と南端の道路で挟まれた地域を台田遺跡としているが、縄文の人々にとっては、この台田の台地全体が生活の場だったのではないかと思う。


a0087378_619162.jpg
 南側は視界が開け、現況は豊かな水田である。昨年秋、この丘を通った時、のどかな風景の中で農作業をする景色にシャッターを切ったが、それを貼り付けておく。
Commented by 「大」@安達太良山麓 at 2009-04-04 09:01 x
大玉村から本宮市は土を掘り返すといたるところから遺跡が出てきます。
特に百日川周辺と五百川周辺に多いようです。
昔から平坦な土地で水利も良かったので住み付いた人が多かったのかもしれません。
Commented by shingen1948 at 2009-04-05 09:01
山の恵と川の恵を受けて歴史を重ねたようですね。
上ノ台遺跡では、縄文時代から古墳時代までの住居跡が重なっているようですので、ずっと住み続けたということらしいです。
おっしゃる通り、住みやすかったのでしょうね。
by shingen1948 | 2009-04-04 06:22 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(2)