地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

本宮駅

a0087378_612580.jpg 
 本宮駅は、ひなびた感じの古びた駅舎だ。
 しかし、今でこそ県内の交点は郡山だが、古くはその役割を担っていたのは本宮のようだ。
 本宮は、会津街道、相馬街道、三春街道の交点で、鉄道の駅も早くから設置された。
 磐越線が郡山と繋がって大きく発展する前は、ここが中心的な街だったようだ。
 交通輸送産業も早くから行っており、バスやタクシーの発展も早く、交通の中心地たったと聞く。


a0087378_6145648.jpg
 猪苗代町出身の医学者野口英世が故郷から離れ上京する際、最寄り駅は東北本線の「本宮」駅と聞くと、古びた感じの駅舎が別に見える。

 最近、福島県猪苗代町の野口英世記念館に、米国・ロックフェラー研究所で働いていた38歳当時の野口博士を再現した最新鋭人体型ロボットが登場したそうだ。
 そこに辿り着く出発地点として、晩夏の青年英世の決意とその旅を思ってこの駅を眺める。


a0087378_6173149.jpg
 19歳になった英世は 9月、故郷から単身上京のため、三城潟から本宮駅をめざす。その距離は、約36㎞。徒歩という話と馬車という話があるが、いずれにしてもマラソンの距離より若干短いだけの長旅。
 ここまで来るのも大変だが、更に、ここから汽車で 8時間の長旅だ。
 清作(英世)が、満二十歳になる直前に上京する際の、生家の床柱に今も残されている決意の刻文。
 「志(こころざし)を得ざれば 再び此地(このち)を踏まず」

 この志に燃える思いは、この駅のベンチで想像すると実感が深まる。
Commented by 「大」@安達太良山麓 at 2009-03-20 11:25 x
我町の駅は骨董品になりつつあります ^^;
野口英世ですが、樋ノ口から木地小屋を通って中ノ沢、逹沢、母成峠、銚子ヶ滝、大塚平、山入という道順だったようです。
私の他界した祖父が若い頃(戦前)は同じ道を通って会津へ出稼ぎに行っていたそうで、馬車は無理でしょうから風呂敷背負って徒歩ではと想像します。
その時、英世を見送りに駅まで何人かの人が付いて来たというのですから驚きます。
片道1日の工程ですものネ。
Commented by 「大」@安達太良山麓 at 2009-03-20 11:28 x
磐越東線・磐越西線は本宮を基点とするハズだったのですが、もともと養蚕が盛んな地域でしたから、絹が煙で黒くなるということで地元の大反対によって郡山へ変更になったそうです。
同じように松川駅も煙害を理由に大きく東へ外れた場所に駅が作られ、結果として町中心部は寂れるばかりになっています。
Commented by shingen1948 at 2009-03-21 02:30
徒歩が似合っていますよね。
それにしても昔の人はよく歩きますよね。
自分が徒歩にこだわるようになったきっかけは、80歳の方が、町に出るのに平気で歩くので、真似てみたら、これが楽しくてやみつきになったということでした。

見送りつきですか。それは想像していませんでした。
言われてみれば、昔はそんな風習ありましたよね。

交通網が変わると、想定していない人の流れになるようですね。
松川が街から大きく外れた理由は、宿で発達していた車夫の反対とのかかわりと聞いています。
by shingen1948 | 2009-03-20 06:21 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(3)