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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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本内館

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 本内舘は、現況は正福寺になっていて、この寺は東の街の方を向いて建っている。
 この館、「信達二郡誌」には、東西2町余・南北8町余の大きな館とされているという。
 永正年間(1046-53)源頼義が陸奥国の豪族安倍頼時・貞任父子を攻めた際に築かれたとされる。
 また、天正年間(1573-92)には、本内氏が住んでいたとされる。本内氏は伊達氏の家臣で、本内相模守は、天文の乱では、稙宗方についたという。
 伊達政宗とのかかわりでは、天正8年(1589)大森城へ凱旋途中の政宗に日没した阿武隈川河畔で本内駿河が御馳走を差し上げた記録があるらしい。
 「山形・宮城・福島の城郭」では、のち、伊達政宗が攻略し、落城したと紹介している。


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 はっきりと土塁が分かるのは、寺の北西側だ。ここに大きな土塁が残っている。


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 これは、その土塁を北側から眺めている。


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 寺の内側からみる。


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 これは、北側の土塁。


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八幡神社と寺との間の道路は、堀の跡とのことだ。


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 南側を確認してみると、畑の耕作によって遺跡は崩れていると思われる。
by shingen1948 | 2009-03-10 04:49 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)