地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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阿武隈川の渡し~瀬上の渡し

このあたりの古の様子が分かりにくいのは、阿武隈川の氾濫によって、川筋も道筋もかわっているからだ。
  この氾濫は、マイナスイメージだけでは捉えきれない。 
 東根地域は、今でこそ東根堰で潤うが、水不足で耕作ができない地域だったという歴史を持つ。そんな中では、この氾濫する地域こそ、阿武隈川の水が利用可能という証しでもある。
 上杉家臣斎藤氏の大坦近くの開墾、本庄氏の家臣が住んだ旧船戸地域が、現在は大規模な阿武隈川の改修工事に拠って阿武隈川の堤防の内側になっているということも、そんな中でのできごとなのではないだろうか。


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 そういった阿武隈川とのかかわりの中、阿武隈川の渡しも、歴史を刻む。


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 「月の輪大橋」の下流右岸に「瀬上の渡し記念碑」が建つ。

 
「瀬上の渡し」記念碑
a0087378_4393059.jpg  その昔、阿武隈川には多くの渡し場があった。「瀬上の渡し」は、寛永16年(1636)に「箱石瀬」(800m程下流)に開設された。
  ここが瀬上の地名を生んだ場所でもある。近郷近在の人々が商業、行楽の生き返り利用し大いに賑わいを呈していたが、特に向瀬上の人々にとっては、瀬の上商店街への買い物や小中学校への通学路として、最も多い時で一日延べ500人の往来があり重要な生活道路であった。
 やがて道路交通網整備計画の一環である「月の輪大橋」が完成したことにより、阿武隈川で最後に残った「瀬の上の渡し」も、平成7年(1995)8月に廃止された。
 古より、この地を守ってきた先人たちのたゆまぬ労苦にひたすら感謝の想いを込め、この歴史ある渡し場の跡を後世に記録として留めるものである。

 平成10年10月10日
 建立
 瀬上昭友会



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 そこから、阿武隈急行鉄橋の方向を見た景色。


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 月の輪の渡し方向に、現在は東根堰の恩恵を得て広がる耕地を見る。



by shingen1948 | 2009-03-09 05:02 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)