地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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隅ケ城二重壕跡辺り②

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舘ノ下橋近くの民家の庭先に、「隈ヶ城二重堀跡」という標柱が立っている。

 おおよその位置
Mapion
具体的なイメージがわかなかったが、とりあえず「隅ケ城二重壕跡辺り」として整理しておいた。


 「ふくしまの歴史」で、この事情が説明されている箇所をみつけた。発掘調査時の現場の状況が分かる写真が掲げられていた。
 この前を走る道路の拡張工事のために発掘調査が行われたようだ。
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 堀跡は、道路に沿って南北に走り、その北西端も確認できたとのことだ。
 その堀跡の東側には、この堀から掘り上げた土で造られた土塁があったともある。

 従って、標柱は堀の位置を示しているということだ。
 民家が塀にしている部分に、その横断の痕跡を残して、埋め戻して宅地にしたのが現況ということらしい。

 現況から、想像する。
 標柱のある位置から歩道にかけての幅で、道路に平行に堀が走っていた。
 そして、その東側に土塁があった。それは、住宅が建っている辺りで、塀の幅で土塁が南北にあった。
 その住宅の東側もやや凹んでいるが、このあたりも内堀だったのだろう。その東側が隅ケ城の館跡ということになるのだろう。

 この館には、文治年間(1185~1190)藤原泰衡の家臣信夫重良が住み、文治5年(1189)9月源頼朝によって落城したという「信達二郡誌」の記載も紹介されていた。
by shingen1948 | 2009-03-03 04:33 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)