地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

庭坂砦跡

 「ふくしまの歴史」で、「隈ケ城」にかかわる項があった。それを確かめていたら、隣のページに「天地人の時」に関わることを紹介されているのをみつけて、確かめてきた。

 慶長3年(1598)上杉景勝が会津若松の城主になった時、信夫の里の城は、福島と梁川以外は廃城にしたという。そして、庭坂と保原には寨(とりで)を築き、鎮将を置いたという。
 庭坂寨は、町庭坂字休所にあったとのことだ。

 町庭坂字休所の位置
Mapion
 吾妻公民館から旧大森道をたどって庭坂宿に入り、周りを一周してみた。

  「ふくしまの歴史」では、「信夫二郡誌」に、東西1町(109m)南北1町で、北畠顕家の家臣が築城したと伝えていると紹介している。
 更に寨(とりで)のあった南側には堀之内という字名があることが紹介され、庭坂寨土塁痕跡として写真が提示されている。
a0087378_6343780.jpg
 この写真に近い土塁痕跡を探してみた。字名堀之内の辺りだが、これではないかなと思うが、定かではない。


a0087378_6353787.jpg
 ここを境にして、堀の内と外になるというイメージで横からみると、そんな気もしてくる。はっきりはしない。

「信夫二郡誌」には、土塁、堀跡が現存したことが記載されているが、現在は土塁や堀などの当時の姿は明確に残っていないとのことだ。


a0087378_6373541.jpg
 この寨の西側に堰が流れている。確かめると大堀川。宿に平行に流れる。


a0087378_6395773.jpg
 この寨の東側であり、宿からは旧街道大森道沿いの東外れでもある所には、庭坂山青柳寺かある。

 これは、初代庭坂鎮将の青柳隼人左が慶長16年(1611)に創建した寺とのこと。この青柳隼人左氏を、「ふくしまの歴史」では、庭坂の町づくりなどに努めた方と紹介する。
by shingen1948 | 2009-03-01 06:48 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)