舟戸諏訪神社
2009年 02月 25日

舟戸諏訪神社御縁起の「御祭神」、「御神徳」、「例祭」はどこにでもある記載だ。
しかし、その来歴の以下の記載には、思いを感じる。
おおよその位置

舟戸諏訪神社御縁起
来歴
慶長6年(1601)8月、福島城代本庄繁長の減封により家臣等10騎舟戸に土着。
同12年3月 繁長より拝領の「諏訪大明神」の差物を祭る。
寛文4年(1664)6月上杉藩の減封により本庄氏米沢に移封された後、信州諏訪大社より勧請し舟戸の守護神として小社殿を建立
元治元年(1864)社殿新築
大正11年(1922)5月19日本内大火で類焼し、
現社殿を大正11年10月改築する。

上杉氏の120万石から30万石への厳封では、信夫の里では、かえって上杉氏の家臣がその経済再建のために活気づく。
しかし、寛文4年(1664)の15万石への厳封で、福島城代本庄繁長は、信夫の里から米沢の鮎貝に移ることになる。
その時、本庄氏の家臣達は、禄を離れざるを得なくなって、この舟戸に土着したということのようだ。

この神社は、その本庄繁長氏へ仕えて、この地に土着した方々のシンボルとして心の支えであったことが伺える。
今は長楽寺が本庄繁長の鎧甲を保管しているとのことだが、これは、ここに奉納していたとも聞く。
本庄氏の子孫が、明治22年(1889)北海道へ移住することになったとき、舟戸が餞別で授かったものと聞く。