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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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井野目堰⑤

 井野目堰と上杉藩とのかかわりでは、次のようなメモをみつけた。
 井野目堰開削前の給人(信夫郡代)は、50石だったのが、開削後は、250石になっているという。
 ちなみに、井野目堰開削者の山口庄右衛門は、50石とのこと。
 井野目堰開削の計画が、正保4年(1647)、堰の完成が、万治2年(1660)。 
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 フルーツラインを飯坂方面に向かうと、「紺野伴右衛門屋敷跡」なる看板が目につくが、この屋敷についての説明はどこにもない。
 多分、地元の人々にとっては、周智のことなのだろう。
 現在のところ、多くの井野目村の文書が残るのは、紺野氏とのことから、そのこととのかかわりとは想像している。
 山口氏の子孫は、福島の町中とも聞く。


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 この地点にある山が丸山とあるので、「丸山ろうか」はこの地点と想像した所でもある。
 地図では、ここが北の外れの井野目堰。


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 フルーツラインを越えてその先まで堰は続く。


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 ここにも、多くの碑が並ぶ。


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 竣工記念碑は、平野村長はじめ多くの名士が並ぶ。多分フルーツライン関係かとも思うが、写真で確かめようとしたが、読み取れなかった。


 この地区を案内していただいた時には、水甕を作ろうとしたが、水が溜まらないで失敗した跡地を紹介していただいた。
 多分、これらは、現在進んでいる改修工事の大事業の影になって消えていく事実。
 それを、自分の勘で探し出したい。
 スポットライトを浴びて光輝く裏に消え去ろうとする人の営み。それを感じられたときの楽しさは、自分だけのものだ。

 先日、昔頂いていた飯坂の地元を探索した本を見ていたら、西根堰以前に、摺上川の下流に堰があって、これも上杉の家臣が開削したものだという個所をみつけた。
 西根堰という大事業に隠れてしまった小さな事業。これもいつか探ってみるか。
by shingen1948 | 2009-02-21 06:11 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)