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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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井野目堰②開削と井野目村開村

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中野堰を確認した時に、小川を挟んだ対岸の崖に、いくつかの穴の痕跡が、気になった。
 これを、井野目堰のずいどうのための横穴とみてよいのだろうか。よく分からない。

 堰の開削者は、豊かな耕地創出者であり、それは、村の発展を導くことであり、時には村の開祖者となる。

 福島平野地区の変遷についてのメモがある。
 慶長3年(1598年)上杉景勝(120万石)が会津若松城主として就封、信達地方を支配する。そして、慶長6年(1601年)には、上杉氏は米沢30万石に減封されたが、信達地方はそのまま支配する。
 そのときの「邑鑑」によると、平野地区は以下の4村である。
    「平田村」・「入江野村」・「佐場野村」・「飯塚村」

 井野目堰が完成するのが、このメモによると正保4年(1647年)。
 寛文4年(1664年)上杉氏の15万石削封により、信達地方はすべて幕領になるのだが、そのときの「総検地」では、平野地区は以下の5村になる。
   「井野目村」・「佐場野村」・「平田村」・「飯塚村」・「入江野村」

 井野目堰が完成したことによって、「井野目村」が誕生したことが読み取れるのだ。
 井野目堰開削者の山口庄右衛門は、井野目村の開祖者でもあるということだ。
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 古いメモではあるが、
 「今でも井野目村では、3月23日には、井野目堰開削者の山口庄右衛門の掛け軸をかけて、その位牌を供養するという。そこで、寄り合いが開かれ井野目堰の土手の草刈りや川さらい愛宕神社ののぼりみち、山口庄右衛門の墓の草刈りなどのことが決められる。」とある。
by shingen1948 | 2009-02-18 05:05 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)