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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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井野目堰~沼前分水地

  井野目堰は、案内して頂いたことがある。その時の資料にこの堰についての概要がある。
 井野目堰は、小川の上流沼前分水地より約1.6㎞程上流の小川砂防ダムの所から取水しています。ダムが完成する前はさらに、100㍍程上流から取水していました。
 井野目堰が出来たのは、今から342年前(1659)で江戸時代初期の頃です。当時この地方は米沢藩の領地でしたが、水に恵まれず原野でした。山口庄右衛門が領主播磨守綱勝公の許可を得て13年の歳月をついやし、難難辛苦の未にようやく完成したものです。
 378㍍のずいどうをほりぬき、3.5㎞の堰を掘って、水下の佐場野原、大笹生原、入江野原等の原野に水を引いて、150ヘクタールの水田を開くことができました。

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 まず、沼前分水地の位置を確かめる。
 井の目堰の分水地点には、平成12年に完成した福島市の水道施設の北部配水池がある。


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 摺上川ダムから浄水場を通って、この配水池から、配水される。
 考えてみれば、分水地点は、ここから水を分配するのにうまい高低差であるということだ。この条件からすれば、重なるのはごく自然なのかも知れないとも思える。


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 ここから、畑越しに小川に向かってみる。ここは、ケヤキの郷の向かいの高台のようだ。その景色が、かなり下方に見える。かなりの高低差だ。
 東の方から来ると、なだらかな坂道でしかないので、丘地であることに気がつかない。
 しかし、こうしてみると、井野目村がいかに丘地であるかが実感できる。

 これも、案内をされたときに聞いた話。
 
 この地は、昔から湧き水が出るところもなく、わずか3カ所のつり井戸があるだけだったという。その状態は、水道が引かれるまで続いたという。
 それは、井の目堰の開削の時、愛宕神社に願掛けをしたためだとのことだ。
 村人にとっても井野目堰は悲願だったので、決して井戸を掘らないので、うまくいくようにと願掛けし、その願いがかなったので、ずっと守っていたとのことだ。
 水道が通るまでは、村の人々は、この3つの井戸だけで生活していたといわれている。

 この3つの古井戸も案内されたのだが、地形も変わったこともあって、どの辺りだったか今のところ記憶が戻らない。
by shingen1948 | 2009-02-17 05:03 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)