地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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企画展「天地人の時代―ふくしまと直江兼続―」

信夫山の道を楽しみながら、歴史資料館展示室に向かう。

 手前に歴史資料館展示室が見えてくる。普通に来れば、歴史資料館展示室は県文化センター裏にある。それが、散策しながら来ると、感覚的に展示室の向こうに県文化センターが見えてきて、主と従が逆転した感覚になる。
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 ここで企画展第2部「天地人の時代―ふくしまと直江兼続―」が開催中だ。

 展覧会は、上杉景勝書状、直江兼続書状などの実物があり重みはあるが、資料展示が中心なので、地味な感じではある。他の展示品もあるが、上杉領時代の伊達郡・信夫郡関係史料などが中心の展示だ。

 散策したこととかかわりのあるものについて目が行く。
 その一つが、直江兼続知行充行状だ。一覧に、慶長6年(1601)5月9日付小沼貞雄家文書とある。
 これは、本宮宿南町の創設とかかわる文書で、本宮市の太郎丸観音堂を散策した時に、「太郎丸観音堂」を散策した時に、小沼貞長の碑についてふれて、「本宮南町の建設~ちょっとだけ天地人にかかわる 」として整理し、本宮南町の建設について整理した。
 また、太郎丸観音堂の散策の整理の時にも小沼貞長氏に少しふれていた。

 この時には、この文書は、「小沼家にあるらしい」としたが、今回の展示品一覧に小沼貞雄家文書とあり、所有者も本宮市 小沼貞雄氏とあるので、確実に小沼家にあると断言できるようだ。

 展示品の解説には、先に整理した本宮宿南町の創設とのかかわりにふれていた。そして、給人石栗将監については、二本松城に500石との情報。また、間接的に石栗将監を通して免状を与える形式についても、当時はあり得る形式として解説されていた。

 整理した時には、慶長5年(1600)付としたが、展示解説では慶長6年(1601)5月9日付とある。上杉氏は慶長6年(1601)には、山形30万石に移動させられていて、信夫の里は上杉領として残るが、本宮宿は会津領となっているはずで、この月単位が微妙に緊迫感がある。
by shingen1948 | 2009-02-10 05:04 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)