地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島城③~紅葉山(公園)

 案内版では、駐車場が本丸屋敷跡とし、鈴木氏は、ここは殿中二の丸としているが、いずれも、この辺りが殿中であるということだ。
 その殿中の庭園が紅葉山(公園)で、数少ない遺構のうちの一つという。
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 この殿中側からの眺めを楽しんだのだろうか。

Mapionおおよその位置

 池を中心とした庭園らしい。残念ながら、今は、その池に水は張られてはない。


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 板倉神社のあるあたりが、その築山だったところという。


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  昔、学生などに場所だけ提供し、安い料金で宴会に使用されていた偕楽亭は、その昔は、上品な料亭だったとのことが、案内板で分かる。


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 ここも、阿武隈川や弁天山を借景にした庭園の一部とのことだ。福島県史に載っている明治40年代の福島城辺りの絵図には、松齢橋の船橋と共にこの偕楽亭らしきものが描かれていた。かなり前からこの偕楽亭はあったように思える。(ここに写っている橋は大仏橋)

 杉妻稲荷神社も、後に移築されたもので、元は上町にあったものとのことだ。福島城鎮護の稲荷神社と伝えられているとのことだ。

 これらを念頭の中で整理し、殿中庭園を想像する。





紅葉山公園案内板説明内容
 紅葉山(公園)
 紅葉山、二の丸御外庭と呼ばれた福島城の庭園でした。池を中心にした欅の大樹は、往時の面影をとどめるものです。
 かつての築山のあたりが今の板倉神社で、城主板倉氏の藩祖重昌を祭神とするこの神社は旧藩士や市民の有志によって明治15年10月に再建されたものです。また、杉妻稲荷神社は上町にあった古社を移したもので、福島城鎮護の稲荷神社と伝えられています。
藤棚のあるあたりには明治44年建てられた県物産館(のち県立図書館)がありました。木造モルタル三階建ての典雅な洋風建築でしたが、昭和35年に消失いたしました。
 池から南にかけては日蓮宗文明院(竹下文明開基)の所有でしたが、昭和8年に佐藤沢福島市長らのはからいによって板倉神社代表に譲り渡されました。現在は、これら一帯を合わせて福島県が整備し、公園として管理しています。
 福島県

偕楽亭跡
 このあたりは 旧福島城の庭園の一部、阿武隈川にそい、弁天山を借景とした風致のよい所で、明治41年に偕楽亭という上品な料亭がありました。この前(明治26年)文明院(竹下氏)という日蓮宗の僧が、ここに楓山温泉という鉱泉宿をつくりました。池の傍にある歌碑は文明が建てたものです。
 昭和11年偕楽亭の所有者志賀まさ氏の遺言によって、すべて福島市に寄付され、市は市民の集会所として開放しました。老朽化したので。譲り受けた県は昭和45年10月取り払い、東屋を造り公園としました。
 福島県

by shingen1948 | 2009-01-31 05:12 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)