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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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佐藤氏居城の飯坂大鳥城

  信夫の里、とりわけ西根では、散策をしていて古に思いを馳せると、今のところ佐藤氏に辿り着く。
 西根堰の佐藤新右衛門家忠公は、佐藤荘司佐藤基治公18世の孫という。西根堰それ自体も、佐藤氏が何度か挑戦して為し得なかった事業という側面がある。
 国見の阿津賀志山防塁の散策も、奥州藤原氏の話だが、この地区を守るのは、この佐藤氏である。石那坂の戦いでここを死守しようとしたのが、佐藤氏だ。
 そして、ここを攻めている首謀者が伊達氏で、その後、この地域が伊達氏の旧地となるということだ。

 その佐藤氏の居城が飯坂大鳥城だ。この城は中世に築城された山城で、現在は公園として整備されている。
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 ここには何度か来ているが、本丸中心にスポット的に立ち寄るだけたった。
 今回は、四の丸の駐車場に車を置いて、公園として整備された歩道を登ってみることにした。


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 そこには、「大鳥城」の案内板があって、鳥瞰的な図を示し以下のようにこの城の概要を説明する。


 治承4年(1180)城主佐藤基治の子継信・忠信は源義経に従って出陣、
 継信は屋島の合戦にて主の義経の矢盾となって討死、行年36歳
 忠信は吉野山にて義経一行を救うも捕えられて京都にて自刃文治5年(1186)行年34歳
 文治5年(1189)8月城主基治、長男前信他一族を率いて義経追討の鎌倉勢を石那坂に迎撃し頼朝の大軍を阻み目覚ましい老いの戦死をとげました。行年73歳
 同月13日大鳥城落城

 信達一統志より、以下のようなこの城のいわれも紹介する。
 ここに城を築くとき生きた鶴を城の中央に埋め本城の守護神と成す。故に「大鳥城」の名を負わせたり
 「鶴の魂羽を張り、大鵬に変じ、敵を拒む」ところの堅城とうたわれた



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 散策道を登るとすぐに三の砦にたどり着く。表示はあるが、これといった遺構の存在を感じられない。


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 その向かいの小高い丘が二の砦とのことで、標柱が立っている。


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 その上が東水の手の案内がある。


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 ここについての説明はないが、本丸近くの駐車場近くの西水の手の案内板の説明にある「山城では水が非常に貴重であり、こんな所に湧き水が出るのが不思議である。」という感じは、同じだ。


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 ここが、一の砦とある。ここから、散策の道が本丸をぐるりと回されている。


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 一の砦からは、飯坂の里が眼下に一望できる。
by shingen1948 | 2009-01-24 10:54 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)