人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

阿倍薩摩開村笹谷~笹谷大堰取水口を求めて

 熊野神社の案内板説明で気になることがある。

 熊野神社を鎮祭したのは、当地に居住していた上杉景勝の家臣青木・吉原・長井の3氏で、元和年間(1615~1618)という。
 更に、寛永年間に上杉の家臣阿部薩摩が、再開墾して願祈が満願となって大梵鐘を奉納したとする。

 一の堰が、阿部薩摩とかかわっていると思っていたが、そうではないのかもしれない。
 先に、小さな村落があって、その耕地のための先行する堰が一の堰で、大規模な村落を形成するために、一の堰を元にして、笹谷大堰へ拡大したということかもしれないとも思う。

 この後、幻の笹谷城も探してみるが、またしても幻のままだが、それはそれでいいとも思う。

 ここから、笹谷大堰の旧取水口あたりを確認することにする。
a0087378_8214292.jpg
 まずは、近くに大神宮の社があるので、勝手にそのあたりをスタート地点とする。


a0087378_823468.jpg
 笹谷大堰の水路を確かめながらも、松川の土手を目指す。


a0087378_8245044.jpg
 笹谷大堰の取水口を松川の方から確認できないかを確かめる。

 排水口のあたり、逆に取水口を利用した可能性もある。


a0087378_8291978.jpg
 資材置き場を過ぎたあたりの地形が、凹んでいるよな気がする。ここが取水口の跡ともみれるが、そうではないかもしれない。


a0087378_831180.jpg
 そのあたりを川と地形の両方が確認できるように撮ってみる。
 半沢氏のフィールドワークのメモでは、この資材置き場の中央あたりに点線で取水口推定を記載している。


a0087378_8381428.jpg
 一度戻って、今度は水路側から取水口が推定できないかを確かめてみることにする。
 戻り途中に、新しい道路と開発された景色から、切り取られた景色があって、そこに石碑群がたたずんでいるのを目にした。
by shingen1948 | 2009-01-18 08:42 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)