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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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阿部薩摩開村「大谷地村」へ

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 北沢又あたりを歩いていて、町内会の案内地図に「至大谷地境」の表示が気になった。

 一般的には、阿部薩摩は笹谷村を開村したという言い方だが、昭和42年発行の「福島のあゆみ」では、「阿部薩摩は、泉・南沢又・大谷地村などの荒れ地を開き、李平の宿や土湯を開いたともいわれています。」となっている。
 笹谷村は、元大谷地村と元大笹生の一部とが明治になって合わさってできた村だと聞いている。泉、南沢又村は、そのまま名称が残っているが、当時の大谷地村それ自体は現在は無いのだが、こういった形で残っているのが面白いと思う。


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 町内会の案内地図にある「台前北」の景色だ。この「至大谷地境」とある道に沿って、この広がる田に水を運ぶ水路がある。


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 水路をたどってみることにする。
 そのまま進めば、そのどこかが大谷地境になっていて、その向こうが旧大谷地村であった所ということになるはずだ。そして、そのたどり着いたあたりの水路の原型が、笹谷村開村の水路と重なるということになるはずだ。


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  水路の走る脇の高台側は新興住宅地になっている。


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 水路は人家と荒地の間を走る。


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 水路は果樹園を走る。


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 水路は人家の脇を走る。ここは笹谷のはずである。


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 ということは、旧大谷地と推定してよいのだろうか。水路は、住宅地に入る。



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 ここに熊野神社がある。
 そこにその神社の由緒が掲示されている。その概要を確認する。
 元和年間(1615~1618)上杉景勝の家臣青木・吉原・長井の3氏が当地に居住していて、荒れ地を開墾して村落を開くときにこの地の無事円満の祈願を立て熊野神社を鎮祭するとある。
 寛永年間同上杉の家臣阿部薩摩が、再開墾して願祈満願のため、社前に大梵鐘を奉納したとする。
 寛文10年代官国史半兵衛名主越中、下大笹生・大谷地・上大笹生・町大笹生の土地御調べの御縄鎮守熊野神社に納祀した。引き続いて11年から信達地方は寛文の総検地が行われたとある。
 領内人跡未踏の山野原野を開墾し、村落を開く大事業の遂行に当たって熊野神社を当地方の鎮守としてその加護によってこの大事業は完成したと言われているとある。

 大谷地を中心とする阿部薩摩がかかわった開村のための開墾地のかかわりにたどりついたような気がする。
by shingen1948 | 2009-01-17 06:44 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)