人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

信夫の里の天地人④~西根堰


a0087378_535306.jpg
 ここは、福島の天神様だ。今年は出かけたところの神社に立ち寄って初詣とした。

 年末の部屋の掃除で、西根堰の資料を見つけた。
 信夫の里の天地人を整理している最中なので丁度よかった。というのか、頭の中にはそのことがあったので、プリント類を整理している中から見つけたということなのかもしれない。

 西根堰による新田開発は、この地区では有名な話で、古河善兵衛・佐藤新右衛門らは神格化されて西根神社に奉られている。また、福島近郊では、必ず4年生で学習する。それぞれの地区の資料集にも必ずこの堰は載っている。この学習をもとにして、自分たちの住んでいる地域の堰の学習をするのだ。
 だから、意識しなくてもこの堰の資料は家の中のどこかにはある。
a0087378_5372389.jpg
 これは、「T-com」の東北歴史探訪「摺上川の歴史」に載っていた西根堰の説明図。
 この西根堰には、上杉藩の事情が反映されている。
 用水路掘削を伴う新田開発は、生き残りの命運を賭けた事業だ。信夫の里には多くの上杉の家臣が入りこんだが、彼らが伊達・信夫の新田開発に心血を注いで開発は行わている。
 
 概要は、うつくしま電子辞典→県北地域→「佐藤新右衛門」の項で紹介される。


a0087378_5525753.jpg
 これも「T-com」に載っていた古河善兵衛重吉だが、との資料にも載っている岸波利郎氏蔵の絵図だ。
 佐藤新右衛門は地侍だが、ここに登場する代官古河善兵衛重吉が、上杉氏米沢藩家臣だ。上杉氏が会津に転封されたことで、信夫郡・伊達郡の郡代となった福島奉行だ。
 新田開発による耕地の増大による藩財政立て直しを目論んだはず。そのための水源確保が、西根堰の開削のはずだ。
 「T-com」によると、彼は、信濃国更級郡塩崎城主小笠原九郎左衛門重成の次男であり、重成は武田信玄に仕え、土木事業にも優れていたといわれているとのことだ。

 気づいているかどうかは別にして、4年生の時に、福島近郊での学校で過ごした人は、半年かけて「信夫の里の天地人~西根堰」に接しているということになる。






うつくしま電子辞典「佐藤新右衛門」説明内容


 江戸時代初期、現在の伊達郡の西の方は、西根郷と呼ばれ、土地は肥沃でしたが、阿武隈川より高いため水を引くことができませんでした。そのため、農民は日照りの害に苦しみ、水田の開発も遅れていました。1618年、西根郷の村役人だった、佐藤新右衛門が中心となり、湯野の摺上川から、桑折、伊達崎までの約13kmの用水路を開さくしました。これが現在の西根堰下堰です。さらに1625年、佐藤新右衛門は、代官古河善兵衛重吉に協力し、さらに上流の穴原から五十沢までの西根堰上堰の工事に着手し、約8年の歳月を費やし、1632年に完成しました。西根堰上堰、下堰の完成により、この地方は安心して米作りができるようになり、新しい水田が次々と開墾されていきました。

by shingen1948 | 2009-01-02 05:55 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)