地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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旧伊達郡役所

 桑折を中心に、地域を誇りに思うという点で、伊達郡は明治時代に一度輝いたように感じる。
 その象徴が、明治天皇の東北巡幸と半田銀山との関わりであり、追分けと郡役所の設置のかかわりのように思われる。
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 旧伊達郡役所は、その中心地の象徴として輝いて見える。そして、近年は、奥州街道と羽州街道の追分けの整備や町並みの改善等があって、歴史のある街道の要所に、設置された郡役所というイメージになっている。

 
重要文化財(建造物)
 旧伊達郡役所
 指 定  昭和52年6月27日
 所在地 桑折町字陣屋12番地

 この建物は、明治16年(1883)10月、三島通庸県令のときに、桑折町の大工棟梁山内幸之助・銀作の両氏の手によって建てられた。
 洋風官衙として、東北地方に残る優品の一つであり、当時の形態と位置を同じくして現存する 珍しい建物であることが高く評価されています。
 大正15年(1926)7月1日郡役所の制度が廃止されるまでの約43年間、郡行政の役割を果たしてきました。その後、伊達郡各種団体事務所、更に県の出先機関としての地方事務所が設置されてきましたが、昭和44年3月県行政の改革により廃止となり、昭和49年5月7日県重要文化財に指定され、同年7月2日桑折町に移管されました。
 昭和52年国重要文化財指定と同時に、文化庁並びに県の指導と援助により、半解体保存修理工事に着手し19ヶ月を経て昭和54年6月30日滞りなく完成しました。
 往時を忍ぶ威厳ある風格は、町のシンボルとして、この貴重な国民的文化遺産を永く後世に伝えるものであります。
 昭和56年3月
桑折町教育委員会

  その事を考えれば、福島市が輝くのは、江戸時代とか板垣藩の政治ではないように思う。県庁所在地としての歴史を積み重ねたことなのではないかと勝手に思う。
 もしそうなら、日銀の建物など、保存の動きもなく消失させたが、ああいった煉瓦造りの建物に本当は誇りを持つべきだったのではないかと勝手に思う。
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 郡役所の中には、大広間にピアノなどの古い家具が置かれていてよく似合う。


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その二階には、半田銀山の資料が並ぶ。

※ 12.20付記
 昭和56年3月福島県教育委員会発行「福島県の文化財」の中、近世・近代の「近代の文化財」の項に、本格的な木造洋風の建築技術が地元の棟梁によって習得されたのちの作品としてこの伊達郡役所が紹介されているのをみつけた。
 その後の洋風木造建築の見本になった作品との評価だった。

 作品には、以下のコメントがついていた。
 
 明治16年、伊達郡役所としてつくられたもので、構造も、細かい部分も、だいぶ洋風らしくなっています。上の物見塔は、明治20年に一度とったものを、昭和54年の修理でまたつけました。

 その項の中で、明治後期のレンガ造りの洋風建築として、福島市の福島県農工銀行と日本銀行福島支店の旧建物は、技術的にも立派なものだったと評価して、近ごろすべてとりこわされてしまったと紹介している。
 そして、取り壊される経緯について理解する姿勢を示しながら、欧米から最初に文明を取り入れたころの証拠である洋風建築物は、大切な文化財ですと締めくくっている。
 
 最近になって、近代の建築を残そうとする動きがみえるが、良質の建物は、ほとんどが取り壊されているようにみえる。気づいた時にはもう遅いということか。

※ 12月27日付記
 「福島の歴史☆ふれあい歴史館ブログ」に、懐かし画像 vol.3 『「日本銀行福島支店」
明治32年(1899)』として、日本銀行福島支店の旧建物が紹介されていた。

 技術的にも立派なものであり、欧米から最初に文明を取り入れたころの証拠である大切な文化財である洋風建築物「日本銀行福島支店」を懐かしく確認した。
by shingen1948 | 2008-12-19 20:05 | 半田銀山 | Comments(0)