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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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青葉通りから大橋へ

 西公園をすぎると、「広瀬川流れる岸辺」にかかる大橋が見えてくる。
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 右手に、石碑があるので確かめてみると、「明治天皇御駐之碑」ということだ。東北巡幸の際に、ここに立ち寄られたのだろう。


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 そういえば、ここ仙台は東北の雄藩である伊達氏を誇り高く案内しながら、その象徴である仙台城の西の丸は護国神社に抑えられている。
 この神社は、戊辰戦争の官軍の英霊も祀るものである。
 福島県では、会津には西軍墓地や忠霊塔はあるが、県の護国神社は福島市の信夫山にある。自分の感覚では、鶴が城の本丸に、護国神社があるなど考えられない。
 それが、ここ仙台では、矛盾なく受け入れられている。更に明治天皇の東北巡幸の碑があるということだ。


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橋の手前で、キリシタン殉教の碑が目に入る。河原に降りて案内板を確かめる。


 それによると、大橋の下に水牢があって、ここでガルヴァリヨ神父を含むキリシタンが殉教したとのことだ。
 
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 キリシタン殉教の碑
慶長18年(1613)江戸幕府によるキリシタン禁教令が行われ、元和6年(1620)には仙台領でもキリシタン(キリスト教徒)の迫害が始まった。
 元和9年(1623)冬、ポルトガル人宣教師ガルヴァリヨ神父他8名の日本人キリシタンは奥羽山脈に潜伏中捉えられ、仙台に護送された。
 同年大晦日、大橋の下の水牢においてまず2名が殉教、翌元和10年(1624)1月4日ガルヴァリヨ神父を含む7名が殉教した。



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 そこから道に戻ろうとして、「仙台高等学校発祥の地」という柱を見つける。

 きょろきょろしながら歩くと、いろんなものが見えてくる。

 
by shingen1948 | 2008-12-17 20:13 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)