地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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仙台城の散策④~本丸

 仙台城の本丸は正保2年(1645年)の絵図によると、東西約245m、南北約267mで、近世城郭の中では、全国最大級の大きさだったようだ。1610年に完成した、千畳敷ともいわれた桃山式書院造の大広間や、能舞台などを持つ壮大な本丸御殿を中心に、殿舎や櫓が建てられていたらしいが、現況で目立つのは、宮城県護国神社で、それを中心に青葉城資料展示館、本丸会館や社務所など多くの建物が建っており、当時の状況をイメージできる建物等は残っていない。
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 これは、埋門跡にあった鳥瞰図だが、現況を見比べてみると、護国神社あたりは、西の丸あたりらしいことが分かる。
 この裏手に天守台があったということか。実戦をを構想している伊達政宗にとっては重要なポイントかもしれないが、現況では探索は無理。


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 懸造(かけづくり)の建物があったのは、土井晩翠像があるあたりか。


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 懸造というのは、清水寺の舞台のような懸崖造りとのことだ。城郭建造物としては珍しいとのこと。この懸造は風雅な建物ではあるが、いざ籠城となると、崖を登ってくる敵に上から攻撃を仕掛けることが出来るという優れものであったという。

  伊達政宗騎馬像などがある場所が本丸御殿本殿大広間あたりとのことだ。この大広間には天皇や将軍専用の上々段の間があったが、使われることはなかったという。


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 仙台城には天守は上げられてなかったが、かっつこよさという点でその代わりの役割を果たしたのが北東隅に建てられた三重の艮櫓であったという。


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 この艮櫓については復元計画があったという。かっこいいのは、この北東の隅の位置だ。しかし、その下に政宗時代の石垣が発見されたことで史実の位置にすると、外観上いまいちということなどがあって、中止となっていると聞く。
by shingen1948 | 2008-12-09 04:12 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)