地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

仙台城の散策③~沢門跡から本丸

 今回の散策のコースが、政宗が築いた築城期の仙台城の登城路と考えられているらしい。
 巽門跡から清水門を経由して沢門跡を通ってきたが、山城としての防御性のための複雑な屈曲や石垣土塁が、城の雰囲気を醸し出している。
a0087378_8263267.jpg
 沢門跡から本丸へは、大手門を経由してくる道と重なる。ここからは、車道の脇に新たに散策道に整備されたようだ。帰り道に、話しかけてこられた学習ボランティアの方は、バリアフリーでないのが不満だとのことだが、今までなら徒歩での散策が厳しいわけで、散策しやすくなったことを認めることも大切ではとも思う。


a0087378_8351181.jpg
 沢門跡からは、本丸はかなり遠くにみえる。


a0087378_8364754.jpg
 しかし、実際はそのまま登って行くと、すぐに本丸の石垣が見えてくる。


 石垣のところに石垣解体修復工事に伴う発掘調査が行われた概要を説明する案内板がある。
a0087378_8381960.jpg
 平成9年から16年にかけて石垣解体修復工事に伴う発掘調査により、本丸北壁の石垣は、伊達政宗による築城後、二回の大規模な改修が行われ、三時期の石垣が重複していることが明らかになった。Ⅰ期の石垣は慶長6年(1601)政宗築城期に築かれたもので、旧地形を利用しながら山の斜面を切り崩し、盛土を最小限にして整形した緩やかな勾配に自然石を積んだ野面積みの石垣であった。
 Ⅱ期の石垣は元和2年(1616)の地震でⅠ期の石垣が崩壊した後に築かれた。Ⅰ期石垣の残存部分を解体、または背面の盛土内に埋め込んだうえで、より大きな石材を使用して築かれていた。Ⅲ期の石垣は正保3年(1646)と寛文8年(1668)の二度の地震を経て築き直された石垣で、度重なる地震に耐え、300年以上も持ちこたえた切石積みの石垣である。



a0087378_8423348.jpg
 その石垣に沿って道なりに進むと、仙台城跡のバス停があり、左手が入り口になっている。


a0087378_8442562.jpg
 その入口に大きな鳥居があるが、これは、本丸跡にある護国神社のものだ。

  階段を登る途中両脇の一段高い部分が詰門跡だ。


a0087378_8462642.jpg
 現状からは当時の様子を想像することができない。埋門にある鳥瞰図からこのあたりの様子を示す部分を確認しておく。


a0087378_8565993.jpg
 階段は、左に回り込んでいるが、残りの階段を登ると、本丸に到着する。
 鳥瞰図からは正面に御成門があって、その奥が本殿になるのだろうか。その左手が、「仙台城見聞館」というガイダンス施設になっているが、このあたりが、能舞台ということになるのだろうか。
by shingen1948 | 2008-12-07 09:02 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)