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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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仙台城の散策②~巽門跡ー清水門ー沢門跡~


 巽門跡から、道なりに坂道を登るか、巽門跡の横の階段を登ると、「仙台城酒蔵跡」の案内板がある。
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 1608(慶長13)年に榧森(かやのもり)又右衛門が酒蔵と屋敷を与えられ、酒造りを行ったと言われているとのことだ。


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 直ぐ上が清水門になる。ここは、石垣がよく残っている。帰り路に、ボランティアの方に聞いたのだが、清水門というように、ここに井戸があったのだという。
 その方は、ここの酒は果物酒だったらしいという話をしてくれた。



 この地は、慶長13年(1608)に大和国(奈良県)から伊達政宗公が招いた榧森又右衛門(1562~1641)が酒蔵と屋敷を与えられ、酒造りを行ったと伝えられ、江戸時代を通じて酒蔵が置かれていた。又右衛門は仙台城内詰の御酒御用を命じられ、苗字帯刀も許されていたという。酒造りには、この付近にある「清水門」の名前の由来となっている湧き水が用水として用いられた。 
 寛永5年(1628)に政宗公が若林城(現在の宮城刑務所)に移ると、又右衛門もそれに従い、若林で酒造を続けた。榧森家は、初代又右衛門から幕末・明治期の12代孝蔵にいたるまで、江戸時代を通じて仙台藩の御用酒屋をつとめ、ぶどう酒、みかん酒、びわ酒、みりん酒等も造ったと伝えられている。



  清水門のところには「仙台藩御用酒発祥地碑」も建っている。

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 仙台藩御用酒発祥の地
 仙台藩祖伊達政宗公は慶長十三年(1608年)柳生但馬守宗矩の仲介により大和の榧森の又五郎を仙台に召下し, 榧森の姓と, 切米十両, 十人扶持を給し, 清水門の南側御太鼓部屋下に自ら地を相し縦十六間, 横五間の酒蔵を建て, 御城御用御酒屋と称した。酒造用水にはこの附近の清泉が使われた。
 榧森家は初代又五郎より十二代孝蔵に至るまで仙台城御酒御用を務め, その醸造する酒は夏氷酒, 忍冬酒, 桑酒, 葡萄酒, 印籠酒など二十余種にも及び仙台領内の種類醸造に多くの影響を与えた。 以来仙台藩に於てはいわゆる町酒屋と御用御酒屋とが競い合い酒類醸造技術の向上と藩の経済に大いに貢献した。
 御酒蔵跡と名水の湧出する地は宮城県産清酒の源流の地である。
 昭和53年2月26日 宮城県酒造組合創立70周年を記念して之を建立す
    宮城県酒造組合 
       会 長  松本善作
        副会長  井澤平一
        副会長  本間孝一郎
        理事代表 佐藤敬二郎

        撰文   三原良吉

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 清水門から奥が大きく曲がりながら上る坂道になるのだが、沢門跡までの石垣や広場は、雰囲気がいいお勧めの景色だ。


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 これは、清水門のところの石だが、加工されている。門の礎石かなと勝手に思う。本当は、これを見つけたのは、本丸を見ての帰りだった。


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  清水門からは、坂道を上り、迂回するように坂道を上っていく。


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 回り込む道の左手は平場になっていて、散策の道はそこを回り込んで、石垣の向こうでもう一度折れて沢門跡まで進む。


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  この沢門跡で、大手門からくる道とつながる。ここから本丸までは、道路の脇が散策道に整備されている。
by shingen1948 | 2008-12-06 09:22 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)