地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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仙台城の散策

 今回の平泉展は、市立博物館で開かれているが、ここは、仙台城の三の丸だ。いつも、目的地にスポット的に訪れるだけで、城として意識して散策していなかった。
 仙台城は山城であり、徒歩の散策でなければ雰囲気はつかめないはず。
 今回は、この三の丸から本丸を目指して散策してみることにする。

 この城は、元々は国分氏の千代城ともいわれるらしいが、興味があるのは伊達政宗の築城からだ。おさらいしておく。

 慶長5年(1600)12月に城の縄張りが開始され、慶長7年(1602)には、それまでの居城であった岩出山から家臣や町人などを仙台に移し、その翌年には、ほぼ完成する。
 政宗によって築城された仙台城は山上部の本丸と西の丸といわれ、天守台は築かれたが天守閣は築かれなかったようだ。その後も工事は継続され、中心的な建物である本丸大広間が完成したのは慶長15年(1610)とのこと。

 寛永14年(1637)、本丸石垣の大崩れがあり、2代忠宗は本丸の北西麓に二の丸の造営を計画し、翌15年から1年余の工事期間で竣工する。
 この三の丸もこのころ「御米蔵屋敷」として整備されるが、三の丸の名称は寛文期に入ってからとのことだ。
 会津から移った伊達家が、ここで13代にわたって栄えることになる。
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 城として見てみると、この三の丸敷地も、周囲の水濠・石垣、土塁らしいものが見えてくる。


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 一度、三の丸の南側の道を降りて、見上げてみる。
 それから坂道を登りなおす。

 坂道の右手が三の丸だ。


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 その三の丸の入口は、巽門跡になる。


そこに案内板が建つ。

 三の丸巽門跡
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 藩政時代初期の絵図には、蔵屋敷と記されている3の丸には二か所に門があった。北側出入り口が子の門で、南東側が巽門である。辰巳門は大手門や脇櫓とともに戦災まで残っていた数少ない建造物の一つで、昭和59年に実施された発掘調査で建物の礎石14個や雨水溝などが検出され、翌年その成果をもとに門の跡の復元整備を行った。

 散策の道は、道なりに坂道を登るか、巽門跡の横の階段を登ることになる。
by shingen1948 | 2008-12-03 18:29 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)