地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「平泉―みちのくの浄土」展⑦

 最後の部屋は、念仏剣舞の装束等が展示されている。その前に、テレビを設置して、概略を紹介する。このことで、これら平泉文化が現代につながっていることを主張しようとしていることが分かる。

 展示の中に、白鳥舘遺跡、長者ヶ原廃寺跡のパネル展示がある。展示意図は、平泉成立の前提となり、支え続けた遺跡とのことだ。
 しかし、自分の感覚では、これらは土着文化と平和に融合していく藤原氏の姿勢を示すものだと勝手に思っている。その延長線上に、藤原氏が理想とした争いのない平和な世界の象徴としての平泉文化が花開き、浄土景観を創造するというストーリーを感じる。

 展示の意図に沿って見た後、自分の関心ごととのかかわりから、興味のあったものに戻って確認し直す。

 寺院や暮らしに関する資料の展示部屋では、白磁水差しなどが気になった。
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 その部屋は、金銅華鬘、白磁水差し等々の宝物から日々の暮らしにかかわる歴史的な資料が豊富に展示されている。
 平泉文化という点からは、金銅華鬘・螺鈿平塵案などの螺鈿細工といったシルクロードを経由してきた技術で装飾されているという点に着目すべきなのだろう。


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 しかし、個人的には、霊山寺とのかかわりで、白磁水差しとその脇に展示されている皿、そして、それらが発掘された井戸のパネルが気になったのだ。

 霊山登山時に手に入れたパンフレットに、山の霊山寺近くの二つ岩から出土した中国元代龍泉窯で焼かれた青磁花盆と青磁皿が霊山神社に社宝として保管されているとある。皿や水差しを眺めながら、勝手にこの霊山神社の皿の歴史的な価値を考えていたのだ。

  藤原氏に関する年表を整理しておく。3つのブロックを意識する。
 清衡を中心に、平泉文化が創造される。
 2代、3代が平泉文化を受け継ぐ。
 そして、源義経の平泉へ亡命の対応とかかわって、4代目で藤原氏は滅亡する。
 1056年、前九年の役六年目、藤原清衡、生まれる。
 1062年、前九年の役終わる。清衡の父、藤原経清敗北斬首。
 1063年、清衡、母と共に清原武則に引き取られる。
 1083年、後三年の役起こる。清衡、家衡と共に兄真衡を攻める。
 1087年、清衡、源義家と共に弟、家衡を攻める、後三年の役終わる。
       清衡が奥羽の覇権を握る。(藤原氏初代)
 1094年、清衡、豊田館より平泉館に移る。
 1105年、基衡生まれる。(二代目)
 1122年、基衡の子、秀衡生まれる。(三代目)
 1124年、金色堂落慶
 1126年、主要堂塔すべての完成により大法要が営まれる。
 1128年、清衡没す。

 1129年、基衡、兄小館と争う。
 1130年、基衡、家督を継ぐ。
 1155年、秀衡の子、泰衡生まれる。(四代目)
 1157年、基衡没す。
       秀衡、家督を継ぐ。
 1187年、源義経、平泉へ亡命する。
       秀衡没す。

       泰衡家督を継ぐ。
 1189年、泰衡、義経を討つ。
       源頼朝、大軍を率いて平泉へ侵攻する。
       泰衡、家臣の河田次郎に殺される。藤原氏滅亡する。 
by shingen1948 | 2008-12-01 19:11 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)