「平泉―みちのくの浄土」展⑥
2008年 11月 30日
平安時代後期に奥州藤原氏が開いた平泉は、その歴史や質の高い仏教文化が、今日まで多くの人の心をとらえてきました。特に中尊寺金色堂や毛越寺庭園は、平泉を代表する浄土景観であるとともに、藤原氏が理想とした争いのない平和な世界の象徴となっています。本展覧会では、金色堂内にある三つの須弥壇のうち西北壇の諸仏をはじめとして、国宝・重要文化財約100点を含む仏教美術の名品や歴史資料など約250点を一堂に展示し、平泉の文化遺産の意義と魅力を余すところなく紹介します。
その平泉文化遺産につつまれて、金色堂内に三つの須弥壇があり、その中に藤原氏は眠っている。
今回の展示会では、そのうちの西北壇の諸仏も展示されている。ガラスケース内の展示であるが、遺体の眠っていた棺も別に展示される。
中央に眠るのは、陸奥の中央に平泉を建立し、金色堂の中央に自らの遺体を納めた清衡で、その左右には二代基衡、三代秀衡が眠るのだが、今回展示の西北壇は、二代基衡、三代秀衡のどちらかなのかは定かではないとのことだ。
二代基衡は薬師如来を本尊として毛越寺を造営し三代秀衡は阿弥陀如来を本尊とする無量光院を建立し、藤原氏が理想とした争いのない平和な世界としての平泉文化は継承される。
実際は、東北の仏像群の最後に展示されているのだが、平泉の文化の中に眠るという藤原氏の思いを確認したかったので、自分は4部の展示を確認した後、この展示に戻ってみた。
この藤原の文化については、別に個人的な興味がある。飯坂の佐藤氏とのかかわりだ。
清衡は前九年の役で父経清を失い、後三年の役ではふいに弟、家衡に襲われ妻子や母を失い自らも辛うじて生き延びる。その後弟、家衡を討つといった覇権を握るに至るまでにあやうい生き方をしていくのだが、そのたどり着いた精神が、争いのない平和な世界「浄土」の実現の悲願である。その父を失うあたりから佐藤氏は深くかかわっているようなのだ。
※ 11.30追加
金色堂の須弥壇を中心に記事にした後、NHKの金色堂と毛越寺を中心に紹介する「平泉」の番組を見た。
その中で紹介されていた藤原三代が眠る金色堂の意義と、ここ仏像の意義について追加して整理しておきたい。
装飾による美しさとともに、不変の金属である金とそこから発する光、そこに眠り甦ろうとする意志を前提にして、仏像の配置の意味が理解できるということらしいのだ。
阿弥陀菩薩、勢至菩薩・観音菩薩の三尊が中心にならぶのは分かる。ここで、左右三体ずつで挟んでいるのは地蔵菩薩とのことだ。6地蔵の意識がここに働くようなのだ。更にその左右を、四天王が固める。左が、増長天、右が持国天とのことだ。これは、法華経の信者を守るというものだ。藤原氏は熱狂的な法華経信者であるので確実に守られるということのようだ。