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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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霊山町「宮脇遺跡」発掘調査説明会⑥~霊山史談②

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 「霊山史談」に、お世話になった先生の講演要録が収録されていた。霊山の出身であることは分かっていたが、思いもかけないことだったし、懐かしかった。

 先生は、国語学のはずで、演題「石田邑をめぐる歴史」とのギャップを感じた。
 これは、17年前(1991年3月23日)に、石田善光寺で行われた「石田一族の集い」で行われたた講演とのことだ。

 先生は、私たちが恵日寺に思い入れがないことを訝しがっていらっしゃった。私たちは、何故訝しがるのか、その意図が分からなかった。それでも、とりあえず恵日寺に出かけたのが、恵日寺に行った最初だった。
 寺の住職の方が丁寧に応対してくださったが、その時に自分の思い入れの必要性は湧かなかった。
 その負い目のようなもの頭にあって、何度か恵日寺へ出かけていたが、矢張り思い入れというところまではいかなかった。

 この講演要録の後記から、知らなかった先生の霊山とのかかわりを読み取ることができた。
 掛田町の旅館白木屋に生まれ育ったようで、先祖は、石田邑の出身で、石田検段菅野藤兵衛の血を引くという。
 
 石田氏は、800年前、伊達家初代朝宗の4男為家が、石田邑に根を下ろして改名したもので、石田本流は、伊達家について回って、米沢・岩出山・仙台に移っていったという。 
 地元に残った石田氏は、関ヶ原の合戦の後、菅野姓に変えているという。先生も菅野だ。

 先生は、霊山や石田について多くの調査と研究をされていたという。
 今回、偶然専門外と思われるライフワークに接することができたということだ。

 伊達朝宗の所領、伊達に移住する事情、大進局とその子貞暁、大進局と山戸田地区のかかわり、高子岡について、伊達家と石田氏、南北朝伊達氏、天文の乱と掛田氏、石田氏の活躍、近代の山争いを熱く語ったのだろう。最後は、国語学の先生らしく緒方叔明の漢詩で締めたらしい。
 そういえば、伊達氏は早くから地元に移住してきたことが頭にあるのだが、そのことに言及したものを見た記憶がなかった。多分、若い頃の雑談の中でインプットされて残っていたのだろう。

 諭されていたのは、生まれ育った故郷の強い思い入れの必要性であることだったということを、今にしてようやく納得する。
by shingen1948 | 2008-11-10 07:23 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)