地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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霊山町「宮脇遺跡」発掘調査説明会⑤~「霊山史談」

 霊山町「宮脇遺跡」発掘調査説明会で販売されていた「霊山史談」第11号を購入する。休刊していたものが、復刊されたということのようなので、その熱意を感じたくて手にしたものだ。
 いくつか面白いと感じたものがあったが、そのひとつが、善雄寺阿弥陀仏像から、「山の霊山寺」に思いをはせる鈴木啓氏の「霊山寺と善雄寺阿弥陀」だ。

 霊山寺縁起では、この寺は、鎮護国家の道場で、慈覚大師円仁の中興開山で、貞観元年(859)天竺の霊鷲山を学んで霊山寺と称したとされる。
 氏は、この記述が信憑性のあるものであることを、いくつもの資料をもとに考察しているように読み取る。その中の興味ある考察部分を整理しておく。
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 まず、千葉県善雄寺で発見された霊山寺の御本尊であった阿弥陀如来の顔の特徴から、10世紀末から11世紀初頭と推定している。口絵部分の説明文では、その特徴を髪際水平、三日月型の目が切れ長で細い、鼻の穴は空けず、耳朶の穴がなく、藤原初頭~中期の特徴があるという。本文も読むと、特に目の特徴を中心に年代を特定したようだ。
 その仏像の頭部内部に、奥州伊達郡霊鷲山より出現したもので、慈覚円仁の作とする墨書銘があるという。

 次に興味ある考察は、湯野不動寺の縁起から、霊山寺は、円仁の寺と呼ばれていたことを読み取り、更に、その創建の年代を推定していることだ。

 陸奥の三山として大蔵寺・菩提寺・仁部(仁生)寺とあることが、この仁部(仁生)寺が、霊山寺で、円仁の姓が仁生であることと結びつける。
 創建年代にかかわって、次のような考察をする。
 菩提寺が西原廃寺で、その創建は徳一と興福寺で同窓の智興であり、廃寺の金堂規模の大きさの考察から、恵日寺と同時期と推定しているらしい。
 また、菩提寺は、830年に定額寺に昇格するのだから、それ以前に創建されていることになるとしている。

 他の考察もあるが、これらのことから、会津を拠点とする徳一の「法相教団」に対抗するため、天台の教団が対峙していたとしている。
 それらのことから、慈覚大師円仁の中興開山説が信憑性のあるものであるとし、山の霊山寺の調査を熱く訴えている。
by shingen1948 | 2008-11-09 08:52 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)