地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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霊山町「宮脇遺跡」発掘調査説明会④~本尊の発見

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 発掘調査説明会で、霊山寺の御本尊であった阿弥陀如来が千葉県善雄寺で発見されたということが説明された。

 蒲生氏郷時代この霊山寺は打ち破られる。
 霊山寺縁起によると、文禄年中(1592~96)伊達政宗が、仙台に国替えになり、岡野佐内という者に一山の寺領が召し上げられ、堂塔伽藍や寺まで打ち破られ、山の古木は伐採されて、持ち運んだという。

 この時代に、霊山寺の御本尊である阿弥陀如来の頭部が千葉県に運ばれて、胴部が付けられ千葉県善雄寺に安置されたということらしい。

 この善雄寺の木造阿弥陀如来坐像は、千葉県指定文化財になっているとのことだ。

 山門前の案内板には、以下のような説明があるという。

 
像高1.76Mの坐像で、いわゆる丈六仏である。ヒノキ材の寄木造で漆箔を押し、定印を結んでいる。彫眼で白髻に水晶をはめこんでいる。この像は胎内に多数の墨書が残されているのが特徴である。頭部に、奥州伊達郡霊鷲山より出現し、慈覚大師の作とある。胴部には、佐原町伊能茂左エ門親子の寄進により、1703年より1705年にわたって製作され、作者は京都麩屋町大仏師高橋兵部と記されている。このことから胴部と頭部とを合わせて江戸時代に製作されたと考えられている。納衣などよく古様をあらわし頭部にあわせている。作風は藤原末期様式である。小見川町は古来から重要な河港として栄え、奥州地方との交通もしられている。 
(千葉県教育委員会、香取市教育委員会より)

 この御本尊は、山の霊山寺から続いていたものらしいということにも注目したい。
by shingen1948 | 2008-11-08 19:49 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)