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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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霊山町「宮脇遺跡」発掘調査説明会②~礎石建物跡

 福島民報は、今回調査の2号礎石建物跡は「庫裏(くり)」など生活に関連する施設だったことが判明したと伝えていた。
 今回の調査では、礎石建物跡が一棟分出土したことが、成果のようだ。
 南北に三間(約6メートル)、東西に五間から六間(約10メートルから約12メートル)の大きさだった。
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 北側と西側に半間の庇の張り出しがあったようだ。その南側と、西側と北側に、雨落ち溝や基壇状の石列なども発見されている。
 この写真からも北側の雨落ち溝の位置がなんとなく分かる。


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 これは、建物南側の基壇状の石列である。


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 これは、建物東側の石列である。



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 西側の雨落ち溝と想像されるものだ。北側に比べて、はっきりとしている。石の配列の乱れが少ない。


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 ここからは、瓦も出土したが、


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 碗、香炉などの青磁や天目茶碗、茶壷、香炉等の古瀬戸が遺物として発掘されたという。


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 また、瓦質土器では、茶を沸かす風炉などが出土した。これらは、室町時代のものとみられる茶道具関連とみられている。


 そのことから、この1号礎石建物跡は「庫裏(くり)」など生活に関連する施設だったと想定しているようだ。
 ※ 新聞記事では、今回の発掘された建物を2号としているが、実際は、今回発掘された建物が1号礎石建物跡で、昨年発掘された礎石建物跡が2号のようだ。


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 昨年発掘したという南側の2号建物は、総瓦葺きの東西4間南北3間以上の大きさで、柱間が7尺(2m10㎝)であったという。出土遺構が仏具に関するものが多いことから、仏堂に関する施設であると想定されたようだ。その後ろに今回発掘された庫裏にかかわる施設があったということが、明らかになったことのようだ。


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 今後、その他の施設やお寺の範囲が課題に上がるだろうが、日枝神社の後ろの林からも瓦が出土しているなどとのことで、遺跡の範囲は広がるように思われる。









「庫裏」など生活関連施設  宮脇遺跡 1日に一般公開「福島民報」
 南北朝の動乱で焼失し室町時代に再建された霊山寺跡とみられる福島県伊達市霊山町大石の宮脇遺跡で、同市教委が調査していた2号礎石建物跡は「庫裏(くり)」など生活に関連する施設だったことが判明した。28日、同市教委が現地で報道陣に公開した。室町時代のものとみられる茶道具などが出土し、市教委は建物跡と合わせ当時の寺院の様子が分かる重要な発見としている。
 今回の調査では礎石建物跡は南北に三間(約6メートル)、東西に五間から六間(約10メートルから約12メートル)だったことが分かった。雨落ち溝などの石列なども発見された。さらに瓦や碗(わん)、香炉などの青磁、茶を沸かす風炉なども出土した。
 市教委は遺跡の国指定を目指している。今回の調査は礎石建物跡の性格や規模などの確認を目的に9月から実施している。11月1日午後1時半から一般公開する。問い合わせは市教委生涯学習課 電話024(577)3281へ。

by shingen1948 | 2008-11-05 05:13 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)