人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

霊山町「宮脇遺跡」発掘調査現地説明会

 11月1日、「宮脇遺跡」で行われた発掘調査現地説明会に出かけた。ここは、平成の大合併で伊達市になった霊山町の大石地区だ。
 この宮脇遺跡は、室町時代に再建された霊山寺跡の可能性が考えられていた遺跡で、今年度の調査では、礎石建物跡などを確認したという。
a0087378_591167.jpg
 説明会会場は元大石中学校跡地で、発掘現場はその元中学校の裏山の畑であった。
 駐車場で案内をしていた方の話では、昔この大石中学生がいも掘りをしていて、瓦を見つけたことがあったとのことだ。


a0087378_5124212.jpg
 説明会会場から、校舎の西側を回り裏山に入る。


a0087378_5373948.jpg
 柵に囲まれた畑地があって、その脇を通っていくと、広場に出る。
 この畑地からも瓦は出土するというし、日枝神社の林からも瓦は出土するという。


a0087378_5142438.jpg
 この手前の広場が、昨年の発掘現場で、ここからは大量の瓦が出土したという。
 案内の方との雑談では、昨年ここから出土した瓦は、百箱以上で、今年までその整理に追われていたとのことだった。
 それだけの大量の瓦ということは、総瓦葺の建物ということが想像できるということのようだ。


 今回の発掘現場は、橋がかかっている奥の高台で、平成18年度に6個の礎石を確認していて、存在それ自体は分かっていたことらしい。
a0087378_516033.jpg
 今回は、1軒分礎石を土台とする建物が発掘されたということである。
 昨年の成果である総瓦葺の建物1棟と合わせて、今回の礎石を土台として柱を立てる大きな建物2棟の発掘ということなどから寺院であることの確認ができたと判断したようだ。
 関係者は、歴史資料の考察等も含め、南北朝の動乱で焼失し室町時代に再建された霊山寺跡であることを確信したということのようだ。

 今回は、瓦も出土したがそれほどの量では無かったらしい。それよりも、碗、香炉などの青磁、茶を沸かす風炉などの出土が特徴的で、そのことから、今回出土した建物は「庫裏」など生活関連施設であろうと推定したようだ。

 この発掘で勢いを盛り返したのが霊山町郷土史研究会のようで、休刊していた「霊山史談会」をこの説明会に合わせて復刊していた。

 さて、これを整理するカテゴリーだが、山の霊山寺なら「恵日寺」との関連ある分類をしておきたいが、里の霊山寺なので、とりあえず伊達氏とのかかわりを整理しておくほうがよさそうだと思っている。
 ただし、ここから阿弥陀如来頭部が千葉の寺に運ばれたことが分かったというニュースもある。
 この仏像の頭部が、山の霊山寺から受け継がれてきたものと想定すれば、恵日寺を意識したカテゴリーにすべきであるとは思っている。
by shingen1948 | 2008-11-03 05:45 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)