人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

下紐の関

 下紐の関についての案内板は紺色で、国見の案内板と違っている。白石の案内板で、県堺を越えた証しでもある。
a0087378_537303.jpg
 しかし、古来はこの下紐の関が福島と宮城の県境であり、別名伊達の関とも呼ばれていたらしい。
 半沢氏のフィールドワーク地図では、これを伊達の大木戸としている。
 この県堺は、蝦夷の最後の末裔にとって重要でかつ象徴的な砦であり、平泉と鎌倉の古戦場でもある阿津賀志山を越えた証しでもある。
 芭蕉にとっては、自分の状態も含め、険しい交通の要所を超えたという感慨もあったろうと想像できる。

 歌の世界はよく分からないが、ここも歌枕の地らしい。ただ、知名度は低いようだ。
 芭蕉は特に興味を示すこともなく、「路縦横に踏で伊達の木戸を越す」。
 「曽良旅日記」では、「コスゴウトかいたトノ間ニ福島領(今ハ桑折ヨリ北ハ御代官所也)ト仙台領(是ヨリ刈田郡之内)トノ堺」としての意味付けで、一つの区切りの意識ではなかったかと思う。その象徴として、「左ノ方、石ヲ重テ有。大仏石ト云由。」と、この地を表現する。
 案内板の中に、「藩政時代には路傍にあって「石大仏」と呼ばれていた。」とあるので一致する。

 その案内板は、歌枕の地としての紹介を中心としている。
 下紐の石
 平安朝時代、和歌の題材になる名所を歌枕と称したが、みちのくにも数多くあって都の人々に親しまれていた。
 白石市越河の県堺は古く坂上田村麻呂が関所を置いて以来、下紐の関として歌枕に挙げられて有名になった。
 この下紐の石は用明天皇の皇妃玉世姫がこの石の上でお産の紐を解かれたという伝説が、乳神様と共に伝わっている。
 藩政時代には路傍にあって「石大仏」と呼ばれていた。

立かえり 又やへだてん こよいさへ 心もとけぬ 下紐の関
                                  橘為仲朝臣
現とも 夢とも見えぬ 程ばかり かよはばゆるせ 下紐の関
                                  大中臣能宜朝臣

 この案内板も、歌の世界を心得ていることを前提にして説明されている。
 下紐というのは下着の紐の事であり、愛する人の旅立ちに変わらぬ愛を誓う証の意味が込もっていて、恋路を隔つ関という含みある表現のようだ。
by shingen1948 | 2008-11-02 05:41 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)