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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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貝田宿

 遙なる行末をかかえて、かかる病覚束なしいへど、羇旅辺土の行脚、捨身無情の観念、道路にしなん、是天の命なりと、気力いささか取り直し、路縦横に踏で伊達の木戸を越す。                              「おくのほそ道」

 捨身無情の観念といいつつ、失礼化もしれないが、名声の後ろ盾を得て、順調に旅は進んでいたのだと思う。それが、本当に試練とて体現されるのが福島あたりだったのではないのかと思うのだ。名声を無視されたこと、泊まる宿もひどかったこと、体の調子がおかしかったこと、そして、それに追い打ちをかけるように国見峠超えの辛さがあったのではないのだろうかと思う。

 阿津賀志山防塁から、「路縦横に踏で伊達の木戸を越す」した芭蕉が、貝田宿に着く。そのほっとした実感は、徒歩で確かめて初めて近づけるのだと思うが、その余裕がない。とりあえず、下準備として確かめておいた貝田宿を整理しておく。
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 旧国道を旧街道に見立てて入っていくと、「旧奥州街道跡貝田宿入口」の案内板が立つている。その傍らには、「貝田宿三ツ石」という頭大の石が3っつ並んでいる。


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 宿場の中央当たりの左手に「奥州街道貝田宿」の案内板が立っている。


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 その案内板によると、ここの直ぐ脇が検断屋敷でのようだ。
 そして、その向かいが御札場とのことだ。


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 この宿場は、町中を流れる風呂沢川を挟んで、60戸ほどあったという。その様子が、案内板の図に示されている。


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 これは、案内板にある現況の地図だが、たびたびの大火で家並みの大半は消失し、昔の面影をとどめていないという。
また、賑わった貝田宿も、東北本線の開通で、宿泊客は激減して宿場町としての使命も終えた。


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 そんな中、道の両側に町屋が軒を連ねていたわけだが、その面影を残すのは、屋敷割りの石垣だけ。
 問屋を兼ねていた名主の家は、東大枝宿に通じる梁川道の起点の反対側に一段高い石段になっている。


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 風呂沢橋を越して、宿場の端まで進と、奥州街道はそこから左折して進むことになるらしい。


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 進んでいくと、左手に「口留番所岡田屋」の案内板が民家の前に立っている。


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 その番所の隣が、最禅寺でここを過ぎると、宮城領の越河宿へ向かうことになる。


  コスゴウトかいたトノ間ニ福島領(今ハ桑折ヨリ北ハ御代官所也)ト仙台領(是ヨリ刈田郡之内)トノ堺有。左ノ方、石ヲ重テ有。大仏石ト云由。「曽良旅日記」
by shingen1948 | 2008-11-01 07:12 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)