地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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芭蕉の歩いた道と阿津賀志山防塁

 桑折トかいたの間ニ伊達ノ木戸ノ場所有(国見峠ト云山有)
 『曽良旅日記』

 「おくのほそ道を歩く」では、「阿津賀志山防塁」の項で、上の曽良旅日記の部分が紹介された後、大木戸の場所は阿津賀志山防塁の場所だとしている。

 具体的には、次のように描写する。
 駅から旧藤田宿を通り鹿島神社の前を通って奥州街道を歩いた。左に厚樫山をみつつ中学校を過ぎた頃から道は登り坂となり、峠を登り切った頂上左手には「旧奥州街道中国見峠長坂跡」の表示板があった。

 しかし、実際には、中学校から旧国道は、国道と別れて右の道を下っていく。
 西端が厚樫山、その東麓を東北自動車道が走り、平行して東北本線、国道4号線、そして旧国道がよりそって並走している。いずれの道も厚樫山の東腹を回り込むように旋回している。そのどの地点からどうアプローチすれば旧街道になるのかは曖昧だ。

 その後の描写から、恐らく筆者は国道4号線の表示板から、旧国見峠である経ヶ岡を経由して、茶屋跡を過ぎて、長坂跡に降りたのだと思う。
 表示に従い左手の坂を登ると左手手前に「あつかし山古戦場経ケ岡」とあった。……中略……。
 更に左の細道に入っていくと、大きな紅葉や桜樹などの中に、かなりの広場があった。長坂の茶跡で、国見峠を登ってきた人達が峠で一息入れるために茶屋があったのだろう。北東側には厚樫山の頂が見え、広場の左手南方にかなりの勾配で下から登ってくる幅10m程の道が100m以上続いており……。

 しかし、そのつながりは逆だと思う。目的は違うが、長坂跡に立ち寄ったことは、「阿津賀志山⑤ 」で整理したが、その道筋と同じだと思う。
 それは、「旧奥州街道中国見峠長坂跡」の案内板から、長坂跡に入り、茶屋跡を過ぎて、経ヶ岡までの道筋が、そこから貝田宿へ下って続くということだと思う。

 この地点では、旧街道と旧4号線の道筋がずれているようなのだが、どうずれているのか分かっていないようなのだ。
 半田氏のフィールドワーク地図には、次のようなメモがある。
 街道の変遷
 古代には小坂の方にもよった山の中腹を迂回するルートであった。
 奥州街道は、藤田宿あたりはそのままだが、厚樫山によるこのあたりではさだかではない。
 石母田~腰掛け松あたりはその沿線であった。芭蕉の奥のほそみちは大木戸長坂茶屋あたりにそのよすがをわずかに残している。明治年代にこの改良工事が行われ、戦後(1961)新国道が竣工開通した。

 ずれた街道は分からないが、芭蕉が通ったであろう雰囲気を味わう散歩道は欲しいということで、二つのルートを考えてみた。

 その一つは、腰掛け松あたりが旧街道の沿線ということを大切にしたルートだ。
 旧国道の坂をくだったところの十字路で、旧国道をはずれて左の道に入り、国道の下をくぐりぬけて、「義経腰掛松」に出るアプローチが雰囲気を味わえる。そこから農道を登って、防塁を越して長坂跡につなぐ。

 もう一つは、今回の調査報告の大木戸を意識したルートだ。
 徒歩ならば、今回の調査地点から防塁を迂回せずに、細道に沿って登れば自然なアプローチの雰囲気が味わえる。
 ここから、今回歩いた道を進み、国道で分断された地点に出る。
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 国道で分断された所を、西側から見れば、このようになっている。


a0087378_641455.jpg
 東側から見れば、このようになっている。その右側の細道と「旧奥州街道中国見峠長坂跡」の表示板がある地点に結べればいい。
by shingen1948 | 2008-10-26 06:46 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)