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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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阿津賀志山防塁現地説明会④~空掘内での実感

 発掘部分に関しては、阿津賀志山防塁への出入り口(木戸口)の土橋、防塁に附属する溝と土塁で囲まれた防御施設らしきもの等が複合的に造られた要塞機能に関することが中心に説明があった。
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 これは、道路で分断された阿津賀志山防塁の西側の空堀部分だが、この発掘現場に続く現況が林の部分に案内された。その反対側にも、防塁は伸びている。


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  現況は、木々に覆われているが、実際に空堀の中に入ってみると、その深さが実感できる。
上から敵が弓矢や槍や刀で狙っているとすると、この角度の坂を這い上がるということは容易ではないことが分かる。


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 県立博物館の展示では、二重堀での合戦の様子を模型で再現展示されている。


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 本物の防塁に入ってみた実感と、資料として渡された「奥州あつかし山の戦い」の描写を重ねてみる。


 阿津賀志山では、畠山重忠、小山朝光、加藤景廉、工藤行光らの鎌倉軍と金剛別当秀綱の率いる藤原軍数千騎との間で戦いが始まりました。何千本という矢が両陣の間を飛び交いました。秀綱ら藤原勢の奮闘はめざましく、一歩も引かぬ戦いぶりでした。

 しかし、兵力に勝る鎌倉勢は、次々と新手の兵を繰り出し、敵を圧倒、合戦から四時間後の巳の刻には秀綱らの陣地を奪うことに成功しました。秀綱らは大将国衝の本陣に戻って作戦をたてなおすことになりました。

 この戻った本陣が、今回の発掘地点ということになるのだろうか。

 この防塁の全体像が、大きすぎて掴めないでいたもやもやが少しとれた。
 何年か前、県立博物館でヒントをもらいたくて学芸員の方に質問した頃の曖昧さからすれば、少し見えたりしてきたような気がしている。
 あれから何度かきてみたが、そのたびに部分的に見えてきたというふうに思えるようになってきている。最初は部分的なイメージだったのが、何となく線となって繋がったように思えてきて、それが何となくぼんやりと全体がイメージできるようになってきているという感じだ。
by shingen1948 | 2008-10-22 04:59 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)