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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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阿津賀志山防塁現地説明会②~木戸口

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 説明の地図から、現在残されている南端の土塁は、二重堀の中央の土塁であり、その外側に、もう一つ防塁があるはずである。
 先に道路建設に伴って、この防塁が切断されるときの調査では、今回の発掘地点より手前の部分まで、その確認がなされているとのことでもある。


 そして、今回のT1の発掘地点に続くということのようだ。
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 この地点は、土が人為的に固められている層だったということのようだ。

そして、この地点を過ぎると、また空堀の跡が出てくるとのことだ。ただ、この地点を過ぎたあたりの空堀部分は、花崗岩だろうか、岩盤に阻まれて深く掘ることができなかったようだとのことだ。


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 この岩盤への傷痕は、当時の作業の跡ではないかとのことだ。


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その延長線の確認では、更に、岩盤が表面近くとなり、空堀も浅かったのではないかと推定しているようだ。

今回の調査では、この埋め立てられたと考えられる地点を、阿津賀志山防塁への出入り口(木戸口)の土橋の可能性があるとしている。その推定は、この地点の様子を複合的に考察することで、根拠が推定できるということのようだ。
従って、外側の防塁が浅くなっても、問題はないということでもあるらしい。


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 円を描くように確認されているのは、一度掘った堀跡の上に固められた土が載っていることの確認場所のようだ。


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 この地点の中央の防塁は、切り取られていたと推定されるようだ。それは、明治初めの地図と今回の発掘で、新しく埋めたらしいことの確認ができたことによるらしい。

 ここから敵が入ってくれば、横から攻撃することにする体制にするだろうし、先に攻撃する時には、ここから兵を外に出すというふうになるだろうと推定できる。

ここが人や騎馬が出入りするために意図的につくられたと考えれば、奥州合戦での激戦区が特定されるということにもつながるらしい。
by shingen1948 | 2008-10-20 04:16 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)