地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

会津古武道

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自分にとっての鶴ケ城についての原風景は、西から入る。ここには、貸しボート屋さんがあった。左手が女子高で、そこを過ぎて西出丸に回り、鐘つき堂の坂を登って本丸に行く。


 会津若松市の中学2年の男子生徒が、鶴ケ城公園内にある「武徳殿」に侵入して放火したニュースをみた。
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 この「武徳殿」は、西の入口からまっすぐ進んで、枡形を左折すると、弓道場があってその隣だ。
 事件を見て、小さい頃ここで剣道の練習をしていたことを思い出して、剣道をしている方に話をしたら、お盆の頃、和田旗杯という剣道大会があることを話してくれた。

 和田という名に、思い当たるものがあった。自分達を指導してくださる先生方も段位をもつた方だったが、その中で、比べ物にならない段位を持つ和田という先生がいらっしゃったことを思い出した。めったにいらっしゃらなかったが、白い胴衣をつけていたことを思い出す。思い出したが、どんな方だったのかという知識はないままだった。

 遊びで検索してみたら、ウィキペディア(Wikipedia)の「溝口派一刀流」の項にそれらしき方があつた。
その現状の欄を見ると、溝口派一刀流を伝承する方として紹介されていた。
 そういえば、この先生がおいでになると、われわれの練習が済んだ頃、二刀流と一刀流の木刀を持った二人が型合わせをしていたことを思い出した。しかも、その相手の方として紹介されている好川忠という方にも思い当たることがあった。その方は、近所のおじさんで、高校の先生をしていた方であり、自分に竹刀の手入れを教えてくれた方である。

 小学校時代の、ほとんど触れた程度の剣道の経験だったが、知らなかっただけで、本当は会津の古武道に触れていたのだということを知り驚いた。

 2008.10.16
 会津若松市のホームページで、この溝口派一刀流の動画が見れることが分かったので、記事を追加する。



 溝口派一刀流について

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 溝口派一刀流の項
 現状の中の和田先生に関わる記述部
 第二次世界大戦でさらに多くが失われた。そこで、一刀流溝口派が完全に失われることを憂えた和田晋(当時全会津剣道連盟会長)は、戦後、第14回全日本東西対抗剣道大会で一刀流溝口派の左右転化出身之秘太刀を公開した。(仕太刀和田晋・打太刀好川忠)溝口派一刀流は、この和田晋の伝承による。文章化したものに「一刀流溝口派左右転化出身秘太刀」好川忠がある。映像としては全日本剣道連盟で撮影した8ミリ映画が会津若松市役所で撮った16ミリ映画がある。

 会津藩の家老萱野権兵衛より井深宅右衛門に伝承され、井深宅右衛門より和田晋の父・又四郎に伝承された。和田晋は父から一刀流溝口派に伝承される7つの組太刀(払捨刀、真の真剣、真の本覚、真右足左足、真之妙剣、夢想剣、左右転化出身)を幼少の頃授けられたが、他見他言は無用という掟に従い、戦後に公開を決心するまで秘密にしてきた。公開時に覚えていたのは唯一、左右転化出身の秘太刀だけであり、他は失伝してしまった。
 現在伝承されている和田重郷伝溝口派一刀流は剣術、杖術、柔術のみで槍術は全伝存在せず、一部の型のみが伝承されているだけである

by shingen1948 | 2008-10-08 22:24 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)