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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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御三階

 今年は、会津への路をたどる機会が多かった。
この機会に確かめたかったのは、伊達政宗や二本松畠山氏の時代ということだった。会津では、葦名氏の時代だ。
 もう一つは、今まで散策した中で気づいていなかったことを、これを機に確かめてみるということだった。
 更には、これを機に散策したことをつないで、イメージを広げたかった。

 この御三階は、散策しているなかで、あまり気にも留めていなかったが、新たな情報を得て確かめてみたものだ。

 昨年、阿弥陀寺を散策して、御三階について整理したところだが、「福島民報」9月に、鶴ケ城に「御三階」を復元する計画があることが報じられた。
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  鶴ケ城から本丸を眺めたところだが、左手奥の石垣がその御三階の位置だ。
 今年度から調査が始まり、ここに天守閣再建50周年の平成27年度には整備されるとのことだ。


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 城内の本丸御三階石垣にある案内板には、次のように紹介されている。



 御三階
 御三階は、数寄屋風の楼閣状の建物で、城内の他の建物とは趣が異なっています。
戊辰戦争後、鶴ケ城の取り壊しが行われる前に、七日町の阿弥陀寺に移築され、現存しています。



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 阿弥陀寺の御三階の建物にある案内板には、次のように紹介されている。



 江戸時代の建築で、明治初年まで鶴ケ城本丸にありましたが、明治3年にこの地に移されました。外観は3階ですが、内部は4層になっており、二階と三階の間に天井の低い部屋があります。3階に上がる梯子は用のない者が上がれないように、上から引き揚げる仕組みになっており、当時は密議所に使用されていたと思われます。また、本丸北東の正方形の石垣の上に建っていたところから、物見や展望台の役目を果たしていました。
 戊辰戦争の戦火で阿弥陀寺が焼失したために、長く本堂として使用されてきました。玄関の唐破風は城内本丸御殿の玄関の一部を配したものです。鶴賀城の遺構として唯一残る貴重な建物です。
 参考文献
 会津大辞典(会津大事典編纂会発行・図書刊行会刊)
 会津歴史年表(会津史学会発行・歴史春秋社刊)
 七日町町並み周辺整備事業
 財東日本鉄道文化財団・七日町通りまちなみ協議会
 
 
 なお、会津若松市市政ガイドでは、「史跡若松城跡総合整備計画」の全体計画が示されている。


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 阿弥陀寺の御三階から玄関部分を取り除いたのが原型で、復元される御三階のイメージとしてその形が紹介されている。





「福島民報」(2008/09/20)記事内容
 鶴ケ城に「御三階」復元 平成27年度目標 今年度から調査
 市は8年度に策定した史跡若松城(鶴ケ城)総合整備計画に基づいて復元を検討。文化庁の指導、残存する資料などを踏まえ、実現の可能性の高い御三階を復元の第一候補とした。若松城整備審議会も「必要かつ重要な事業」と答申した。
 現御三階の城内への再移築も考えたが、130年以上にわたり寺の一部として大切に保存されている。寺の意向もあり、現在の建物はそのまま残す。現御三階は移築の際に御殿の内玄関を付けたとされ、当時の外観とは異なる。復元は幕末期のイメージとする。
 今年度は文献調査を進め、来年度以降は発掘調査に取り組む。さらに設計を行い、同時に文化庁内で復元について詳細に協議される。文化庁の了解が得られれば、建設に入る。復元の費用は数億円とみられ、半分は国の補助金、残りは若松城整備等基金や寄付金を充てる。
 御三階の復元のほか今後、天守閣を幕末当時の赤瓦にふき替え、外壁を塗り替える。二ノ丸にあるテニスコートも撤去する方向で利用者団体と協議する。
 鶴ケ城は昭和40年に天守閣などが再建され、平成元年に茶室麟閣が移築復元された。13年には干飯櫓(ほしいやぐら)などが復元されている。昨年天守閣の入場者が3千万人を突破した。

by shingen1948 | 2008-10-03 06:02 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)