地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳴俣堰③

 鳴俣堰は、単に本宮の地を豊かにするだけでなく、皿久保の地も共に豊かにしていることが分かる。
 「本宮地方史」には、天正年間以前に、玉井村の新田開発を目的に、杉田川の流れを分水するため、堰を設けたのが始まりとのことだが、それがよく分かる。

 この堰のスタートを改めて確認する。
 天正初頭頃、本宮城主鹿子田和泉が、皿久保館主に頼み、大江村名主と椚山村名主の了解を得て、本宮の百姓人夫で、堀をつくり、堰を開設したとのことだ。

 大江村・椚山村にとっては、それまでの水量8分確保であることと変わりがないという条件だ。
 歩いてみてよくわかるのだが、皿久保館主にとっては、願ってもないことだったと思う。この堰を整備することは、皿久保の地をも豊かにすることになることなのだ。
 しかも、人夫は本宮の百姓を使うのであり、ただ見ていればよいわけだ。

 後で水争いは起きているが、鹿子田和泉のこのアイディアは、この時点では誰も不利益を被ることのないことに着目したい。
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 鹿子田和泉氏が頼みに行った皿久保館を、情報を頼りにこの辺りを探したが、よく分からなかった。


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 皿久保神社を過ぎて、通路を渡った鳴俣堰の水路は、もう一度扇状地に対して横に走りはじめる。


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 そして、またこの辺りの水田の開発の役割を担い始めるのだろう。


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 皿久保集会所の脇を通り、


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 大谷地堰を横切る。
 クロスする時、樋とか、柵とかの方法で、それぞれの独立性を保つのが、普通だ。それが、ここでは合せてしまつて、水門を使って再度分配するのが特徴のようだ。
 横に走る鳴俣堰は、扇状地を流れ落ちる水脈をひろい集めていく役割をも担っているところに、百日川の水の量を増やすという主目的を感じさせる。


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 水門を越して、


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 百日川を目指す。
by shingen1948 | 2008-10-01 05:29 | ◎ 水 | Comments(0)