本宮城②~菅森館と愛宕館
2008年 09月 21日
ここは、その奥の院だが、舘があったのはこのあたりだろうか。
奥の院の後ろは、高台なっている。
その主について「相生集」の愛宕館の説明の中にみつけた。氏家氏とのことだ。
義継の臣氏家新兵衛遊佐丹波守ここに城代たり、義継生害の後両人は政宗に降り、それから、政宗から中島伊勢守浜田伊勢守瀬の上中務横田右衛門を置いたという。
その注釈には、次のようなことが記載されている。
仙道記に天正20年蒲生氏郷この城割せしとあり、ここは修補をくわいしなるべしとある。
これ以前のことについて、はじめ岩城正兼が住んでいたとする。
石雲寺はこの正兼が草創といわれているとも……。
ただし、岩城正兼は明応以降の人であり、山椒太夫とのかかわりの言い伝えと時代が合わないので疑問符をつけている。
西からの入口は鹿子舘である公園への入り口だが、この舘の入口もここでいいように思う。
これは安達太良神社会館から見ているが、右手のなだらかな坂を登っていくのだろうか。
安達太良神社会館から、本宮小学校越しに愛宕山を見ているが、ここには愛宕館があって、遊佐下総守が居住したという。
下総守は、菅森館の城代丹波守の父とのことだ。隠居であろうか。