地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

本宮城①~鹿子田館

 本宮城が分かりにくいが、なぜ分かりにくいのかが、少し見えてきた。そのことを整理していく。

 わかりにくい理由の一つに、本宮城の位置の説明に、菅森山・大黒山・愛宕山の連山とみて説明するものと、その中で一番高い安達太良神社がある菅森山をそれらの総称として説明するものがあることがあげられる。地元でない者にとっては、戸惑い混乱する。

 もう一つは、それぞれの連山の位置には、それぞれ館があったらしいが、それぞれが違った歴史を重ねているらしい。菅森山には菅森館、大黒山には鹿子田館があったらしい。また、愛宕山にも愛宕館があったことがあるらしいのだ。
 その上に、それぞれの歴史自体も不明確であるらしいので、尚更わかりにくい。

 本宮氏として二本松畠山氏とかかわるのは、鹿子館のようだ。「相生集」では、その位置を次のように説明する。
 
今の本宮県令宅地の後の山也、土人大黒山ともいふ

 「福島県の歴史散歩」では、次のように説明する。
 (略)……菅森山にある安達太良神社は、……(略)……頂上の現在地(戦国時代の菅森館跡)に移された。同社の西側大地(大黒山)には、戦国期の鹿子田館跡(畠山氏一族鹿子田氏居城)……、

a0087378_1937517.jpg
 本宮小学校の西側から登ってみると、こちら側の一番高い所にある平場は、伊藤久雄の歌碑がある公園になっている。


a0087378_19393691.jpg
 安達太良神社の裏側だ。その間にあるのが゜、土塁のようにも見える。ここが大黒山で、公園にするために、山頂部を削り取ったのだろうと想像する。


a0087378_19453830.jpg
 菅森山の安達太良神社からは、普通は南側のこちらから回り込む。ここには、古峯神社がある。


a0087378_19534172.jpg
 大黒山の鹿子田館を想像すると、鹿子田館から菅森山に抜ける北側の道も趣がある。
(この鹿子田館には、)満康庶兄畠山満詮が此の舘を築いて住んでいたが、当時の人は是を本宮殿と称したようだ。
 この館には、右衛門左・武蔵守政盛武蔵守村元左衛門左家満和泉国胤右衛門左継胤まで住んでいたそうだ。
 

 この鹿子田館を築いた畠山満詮を、二本松畠山氏の説明から確認すると、応永21年(1414)に国詮の3男満泰が、白旗ヶ峯に築城するころ、国詮の2男満詮が本宮殿(鹿子田)と説明する。
 天文15年(1546)天文の乱で、本宮城主の本宮宗頼が晴宗方だったため、稙宗方であった義氏に攻められ、城を放棄して岩城に逃げたともある。
by shingen1948 | 2008-09-20 19:56 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)