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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳴俣堰の取水口

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 ひょんな事から、鳴俣堰の取水口を見に行った。

 まっすぐ進むのが、杉田川本流で、この石垣から右に流れていくのが、鳴俣堰だ。見えにくいが、この石垣の上には、水神の石碑がある。


 今までいろいろな土地の堰を確認したが、そのほとんどが、できるだけ高い位置まで、水を持ってきて、水田を開拓するということだった。この堰が他と違うのは、扇状地を縦に流れる川の水量を調整することを目的につくられているということらしい。


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 具体的には、分水されたこの水は、扇状地を横切り、扇状地の中央を流れる百日川をめざす。
 扇状地の端を流れる水量の多い安達太良川の水を、扇状地の中央を流れる水量の少ない百日川に分水するということのようなのだ。
 そうすることによって、扇状地の中央部である百日川沿いに豊かな水田を広げることができるようになる。


 歴史的には、「本宮地方史」によれば、天正年間以前に、玉井村の新田開発を目的に、杉田川の流れを分水するため、堰を設けたのが始まりとのことで、分水量は、玉井2分、大江8分という事だったとのことだ。
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 確かに、杉田川の本流に比べ


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 この分水された堰は細い。


 「本宮町安達太良神社神官文書」では、本宮城主鹿子田和泉が、此の地を堰所と適する地と見定めて、皿久保館主に頼み、大江村名主と椚山村名主の了解を得て、本宮の百姓人夫で、堀をつくり堰を開設したという。この部分は、天正初年頃と推定できるとのことだ。

 この堰に関わって、本宮市水口地内の水田の中に、鹿子田氏墓跡保存会によって建立された碑があり、鳴俣堰開設の功績が記されている。
 昨年、偶然見つけて「鹿子田氏墓に立ち寄る」として整理していたことと繋がる。
by shingen1948 | 2008-09-19 05:01 | ◎ 水 | Comments(0)