人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

「大寺古砦跡」への立ち寄り

 今年の夏は、伊達政宗の「会津への路」をたどったり、恵日寺を中心に、仏教文化の「会津から」の発信を中心に散策したりした。
 地味だったのは、「陣の山館跡」に立ち寄ったことと、「大寺古砦跡」に立ち寄ったことだが、その「大寺古砦跡」への立ち寄りを整理をする。
a0087378_3541638.jpg
 館跡の散策は、民有地もあり、それなりに気をつかうこともある。地元の方にとっては生活の場であり、散策者はその日常の生活を侵しかねないわけなので、理解ができる。
 しかし、相手が某電力会社で、しかもその主張が自分の財産権の侵害になると主張されるとちょっと不快だ。


a0087378_3581319.jpg
 不快だが、入るわけにはいかないので、道路側から撮る。
 提案だが、「立ち入り禁止」の後に、せめて次のような表現を付け加えてはどうだろうか。
 「ここは、当社所有地ですが、危険があって責任が持てません。」とか、「散策に便宜が図れずに申し訳ありませんが」など、どうだろうか。
 勝手かなとも思う。


 さて、この砦の興味だが、葦名の家臣佐瀬平八郎親子が居住していたところといわれていることだ。
 先に「磨上原の合戦」とかかわって「三忠碑」を訪ね「松並木の中の「三忠碑」」として整理した。
 この碑は、会津藩主松平容敬公が、主君に忠誠を誓って戦った芦名勢の家臣を讃えて建立したものだが、その中の2人が居住していたということだ。


a0087378_415646.jpg
 裏側に回ると、川側は案内板の図のように、絶壁であり、これを利用した砦であったことが、頷ける。


 大寺古砦の跡
 所在地磐梯町大字磐梯字取上石2761-4外

 ここは、近世の記録によると「大寺古砦」と呼ばれ、古い居館の跡である。
 平安時代、恵日寺の衆徒頭乗丹坊が守っていた館とも伝えられている。その後は、同寺の寺侍佐瀬宮内が居城としたともいい、天正時代には、葦名の家臣佐瀬河内守が、また佐瀬平八郎親子が居住していたともいわれている。
 この館は、現存する「日橋古砦之図」によると、東西62間(約112m)南北60間(約108m)の規模を持ち、日橋川が東から南へ、そして西を包み込んで流れる要地に築かれた城砦である。
いまも東側に城塁がそばたち古型をしのばせる。
 平成5年3月31日
 磐梯町教育委員会


 ここでも、恵日寺の衆徒頭乗丹坊が出てくる。その後にも恵日寺の寺侍が居城していたということで、恵日寺の兵力を感じさせる。
 その寺侍は、佐瀬宮内で、葦名の家臣も佐瀬のようだ。これらは連続していると捉えてよいのだろうか。
by shingen1948 | 2008-09-17 05:20 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)