地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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庚申壇古墳説明会


 9月6日(土)に、本宮市本宮字竹花所在 庚申壇古墳説明会が、行われたので出かけてみた。

 昨年、この古墳は訪ねたが、この時も発掘調査の痕跡があった。マホロンの広報誌から、それは福島大学考古学研究室が調査中であることは分かっていた。今年も、8月11日から発掘調査を行っていたとのことで、その成果の説明会のようだ。
 情報では、開始の時刻があいまいで、駐車場もないということだった。ホームページ゛を確認したら、11時開始の情報を見つけ、駐車場も確保したとのことで、安心して出かけた。
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 10時30分には、早々と挨拶と概要の説明があって、11時には、発掘の説明に入った。
 この研究室では、過去四回の調査を行い、その成果と課題をもとに、本年度は、今年4月に墳頂部埋葬施設の確認調査を実施した成果にもとづいて埋葬施設の発掘調査を行ったのがメインのようだった。

 庚申壇古墳は、本宮市と大玉村を分ける丘陵上に築造されている前方後円墳で、天王壇古墳や金山古墳、二子塚古墳などと共に七ツ坦古墳群を構成している。庚申壇古墳は形や埴輪から5世紀前半にまで遡り、七ツ坦古墳群の中で最も古い時代の古墳である可能性があるとしている。
 この古墳は私有地の中にあり、地権者の協力を得ての発掘とのことで、その成果を説明するとのことだ。

 昨年、この古墳は訪ねて、以下のように情報が入るたびに整理している。
○ 初めて訪寝たときに、その印象を「庚申檀古墳を訪ねる」として整理した。

○ この古墳の調査を福島大学で実施していることを、マホロンの広報で知って、温石古墳の情報と共に、「「庚申檀古墳」・「温石古墳」にかかわって」として、整理した。

○ 「大玉村史」、高橋氏の「地蔵堂古墳群について」と題された話の内容から庚申壇に関わる情報を「庚申檀古墳②」として整理した。
 内容的には、以下のような事柄
 中世期の舘跡にて、約400年の昔、長尾氏の館にて、長尾を名郷に直したと言い伝えられること。
 このところの台地東南に伸び、約200mあり、明治20年東北本線開通により中断されたが、東南端は南北に開けて広く、字竹の花と言う。中世期の舘跡にて、約400年の昔、長尾氏の館にて、長尾を名郷に直したと言い伝えられること。

 墳丘には葺き石が残存しており周辺には埴輪片が散見され、埴輪を樹立した古墳であったことがわかること。

 当時、築造年代は、古墳の前方部が低平なこと、円筒埴輪が大きく、焼成に甘さが見られるものが存すること、埴輪片に二次調整の横ハケが見られることなどから、同じ古墳群にある南ノ内の天王檀古墳(5世紀後半頃)より古く、5世紀前半まで遡る可能性があるとしたこと。

○ もうひとつ、今回とかかわっては、石室の材料について、「庚申檀古墳③」としての整理がある。

 なお、前回の発掘調査について、2007年09月27日 16時07分kfbニュースでは、以下のように整理されている。
 福島大行政政策学類考古学研究室は29日午前11時から、本宮市本宮字竹花地内にある庚申壇(こうしんだん)古墳の測量調査説明会を現地で開く。
 古墳の構築方法や出土した円筒埴輪(はにわ)、埋葬施設の一部とみられる遺構などの調査結果について説明する。
 3月の調査によると、庚申壇古墳は周辺にある天王壇、金山、二子塚各古墳などを含めた七ツ坦古墳群の一つで、見つかった埴輪片からみて、東北では古墳が少ない5世紀の古墳時代中期前半期に作られた可能性があり、古墳群の中でも早い時期のもので、前方後円墳か帆立貝型古墳と考えられる。

by shingen1948 | 2008-09-07 05:13 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)