「桑折西山城現地説明会」にて③~東側の調査区(裏門と柵)
2008年 09月 02日
まず、門だが、「追手門」は、四脚門と呼ばれる形の門で、まわりより少しほりこんだ建て方で、通路の一番上の所に建てられていたということのようだ。
素人には、結論よりも、そこにたどりつく話が面白く聞けて楽しかった。
まずは、当時の面まで掘りこんでいくらしいが、それは色で判断するらしい。白っぽい土になったら、上の黒い土を丁寧に取り除いていくと当時の面になるらしい。
その中で、少し凹んだ丸い跡を確かめて、上の黒い土を取り除くと、柱穴らしいと想定される跡がみつかり、そのうちの四脚門と形状が合うものを探したらしい。
最初、該当するものみつからなかったらしく、より端に近いところを丁寧にはがしたら、残り2本に相当するものが確認できたということらしい。
そこを、我々にも分かりやすいように、ビニール紐で示してくださっている。
いくつかの丸跡はその他にもあって、変遷かなと思いつつ、小心者は質問もできず勝手に納得しておくことにした。
通路に当たる部分は、やや凹んでいる。これは当時の人々が歩いたことによる凹みであり、ここに人間を感じさせられる。
門から細い凹みが続いていて、それを柵と想像しているようだ。塀のようなものなら細すぎるということらしい。ここからは、時代考証なのだろうか。四脚門も、この上の部分は、想像になるのだろうが、手がかりは、先に桑折寺を訪ねた時に、「桑折西山城③の搦手門 ~ 「桑折寺の山門」」とまとめた桑折寺の門でいいのだろうか。この時は、自分は二の丸の門として想像している。
東側から見た想像図にまとめたものが資料として配られた。